母から聞いたオルウェン伯爵家と王家の確執は、リナリアの想像よりも深かった。

 あの一件で第三王子は罰せられたものの、王家からオルウェン伯爵家への謝罪は一切なかったらしい。

 世間では王家がオルウェンを切り捨てたと思われているが、実際はオルウェンが王家を切り捨てていた。

 その証拠に、セリー商会と手を組んだオルウェン伯爵家は、今やどの貴族よりも裕福なのだそうだ。

(そう言われても、子どもの頃から贅沢をして育ったわけでもないし……)

 もちろん、庶民よりは裕福だが、王族や上位貴族たちのように煌びやかな生活を我が家は送っていない。

 そのことを母に尋ねると「うまく隠しているのよ。王家に目をつけられたらやっかいでしょう?」と言っていた。

「お母様。もしかして、犯罪とかはしていないですよね?」
「そんなことしないわよ。まぁ合法ギリギリラインってところね」

 それ以上聞くのが怖くなり、リナリアは話題を変えた。

「お母様。私がシオン殿下と交流があること、どう思われますか?」

 母は右手を頬に添えながら「うーん」と悩むそぶりを見せた。

「今のところ、私は賛成も反対もできないわ。だって、貴女たちはまだ学生だもの。いくら貴族とはいえ、今の時代なら自由に恋愛を楽しむ時間があっても良いと思うのよね」
「お母様……恋愛ではなくてですね……」

「はいはい、お友達なのね。シオン殿下が貴女の友達でも恋人でも、今は反対しないわ。ただし、結婚となるとまた別の話よ。オルウェンとしては、王家との婚姻を賛成することはできない」
「はい、分かっています」

「それと、節度を持ってお付き合いしてね。お友達と言っても、男女なのだから、きちんと距離はとるべきだわ。学生のうちに身体の関係を持つなんてもってのほかよ!? もしそうなったら……シオン殿下をこの世から消すわ」

 淡々としかし力強く断言する母を見て『冗談ではなく本当に実行できてしまう家なのね』と、リナリアはなんとなく理解した。

**

 リナリアは、母との会話を思い出すことをやめて、目の前に広がる景色に意識を戻した。

 教壇に立つ先生が授業の終わりを告げている。待ちに待った放課後は、大好きなシオンと過ごす素敵な時間だ。いつか必ず終わりが来るからこそ、今はこの時間を大切にしたい。

 シオンと恋人のふりを始めてから、堂々と学園内でシオンに会えるので、毎日が幸せでいっぱいだった。

「またね、リナリア」
「うん、また明日ね。ケイト」

 友人ケイトと別れ、リナリアはシオンが待つサロンへと向かった。その途中で背後から声をかけられた。

「リナリア」

 聞きなれたシオンの声に嬉しくなり、笑顔で振り返ると、そこにはまばゆいほどの金髪に紫色の美しい瞳を持った王子様が立っていた。しかし、リナリアの胸は少しもときめかない。

(……ローレル)

 ローレルは、シオンの学年のネクタイを付けているので、今はシオンのふりをしているようだ。

(私が二人の殿下を見分けられるってバレないようにしないと)

 バレたらローレルに何をされるか分からない。そうしているうちに、爽やかな笑みを浮かべながらローレルがこちらに近づいてきた。

「リナリア」
「シオン殿下、お迎えに来てくださったのですか?」

 作り笑いを浮かべながらリナリアがそう言うと、ローレルはニコリと微笑んだ。シオンとは違い冷たい笑顔だ。

「どこに行くの?」
「殿下に会いに行くために、サロンに向かうところでした」
「そうなんだ。じゃあ、一緒に行こう」

 リナリアの隣を歩き出したローレルは、自然と手を繋いできた。手のひらにローレルの体温を感じてゾクッと悪寒が走る。

(う、気持ち悪い……)

 サジェスといい、ローレルといい、シオン以外の男性にふれられると嫌悪感が湧いてしまう。今すぐこの手を振り払いたいが、シオンとリナリアは恋人設定なのでそれもできない。

(私って、本当にシオン以外と結婚できるのかな?)

 不安に思っていると、急に立ち止まったローレルに手を引かれて気がつけば、リナリアはローレルの腕の中に収まっていた。

「で、殿下、お戯れを!」

 ローレルから距離を取ろうとローレルの胸板を両手で押してもローレルは離してくれない。

「恋人だからいいじゃない」

そう言いながらローレルは、優しそうな笑みを浮かべているが、リナリアを映すその瞳は少しも笑っていない。

(もしかして……試されているの?)

 もしリナリアが、シオンに変装したローレルを拒絶すると二人の王子を見分けられることがローレルにばれてしまう。かといって、このまま気がつかないふりをしていたら、大変なことになりそうだ。

 リナリアが困って黙り込んでいると、ローレルの左手がリナリアの右太ももを撫でた。

(ひっ)

 思わず漏れそうになった悲鳴を必死にこらえる。

「こんなに怯えて。リナリアは可愛いね」

 ローレルは何が楽しいのかニコニコしている。ゆっくりとローレルの顔が近づいてきたので、我慢の限界を迎えたリナリアが叫ぼうとした瞬間、「殿下!」と大きな声が割って入った。

 声のほうを見ると、護衛のゼダが慌ててこちらに駆けてくる。真面目そうな顔には、珍しく焦りが浮かんでいた。

「殿下、おやめください!」

 ローレルはフフッと笑うとようやくリナリアを解放した。

「ゼダ、何を怒っているの?」

 眉間にシワをよせたゼダは、リナリアをチラリと見たが、すぐにローレルに向き直った。

「殿下、節度は守ってください!」
「ゼダは頭が固いよ。私とリナリアは恋人同士なのだから、少しくらい良いじゃない」

 深いため息をついたゼダは、「兄が……ギアムが殿下を探しています」と告げると、ローレルは「そう?」と軽く答えた。

「じゃあね、リナリア。あ、そうだ」

 ローレルはリナリアの耳元に顔を近づけると、「次はどこまで我慢できるかな?」と囁いた。

(バレてる!?)

 リナリアが青ざめながらローレルを見ると、ローレルは心底楽しそうに微笑んだ。