リナリアは手記を手に取ると表紙をめくった。そこには美しい文字で『シェリー=オルウェン』と書かれている。

 リナリアが「シェリー?」と呟くと、母が「この手記を書いた方よ」と教えてくれた。

「この方が……」

 数十年前にオルウェン伯爵家の長女に生まれ、のちに王家に利用されて捨てられてしまったといわれる人。

「お母様。どうしてシェリー様は王家に利用されてしまったのですか?」

 母はため息をついた。

「シェリー様は、とてもお美しかったの。美しすぎたのよ」

 それは、まだこの国に学園がなく、王族や貴族たちの間で社交パーティーが盛んに行なわれたころに起こった悲劇だったそうだ。

 その当時の公爵令嬢や侯爵令嬢を差し置いて、そのあまりの美しさに社交界の華とうたわれた令嬢がいた。それが、オルウェン伯爵家のシェリーだった。

 シェリーは、王家が開いたパーティー会場で麗しい第三王子と出会い、二人は一目で恋に落ちた。

 母が「まるで夢物語のようでしょう?」と言うので、リナリアは「そうですね」と答えた。

「実は、この出会いこそが罠《わな》だったのよ!」
「え?」

 母は不愉快そうに目尻を釣り上げている。

「当時の身分制度では、少し不釣り合いな二人だったけど、第三王子たっての願いでシェリー様は、第三王子の婚約者になったの」
「素敵ですね」

「そうね。でもね、婚約を結んだとたんに、第三王子が手のひらを返して、公爵家の令嬢に言い寄った」

「どうしてですか?」

「だから、罠だって言ったでしょう? 第三王子の狙いは初めから公爵令嬢だったのよ。第一王子の婚約者にもなれる身分の令嬢に、普通に近づいても相手にされないから、シェリー様を婚約者にしてから言い寄ったの。『社交界の華シェリーより、貴女のほうが魅力的だ』ってね」

 リナリアの口から思わず「最低……」という言葉が漏れた。

「本当にね。公爵令嬢も自分を差し置いて社交界の華と讃えられるシェリー様をよく思っていなかったのでしょうね。だから、第三王子を受け入れた。その後、シェリー様は、第三王子につらく当たられ、恥をかかせるために大勢の前で婚約破棄されたそうよ」

「ひどい! だから、オルウェン伯爵家が王家に利用されて捨てられたと言われているんですね」

 母はゆっくりと頷いた。

「しかも、そのあとすぐに、第三王子と公爵令嬢の婚約が結ばれたわ。そして、シェリー様は、不幸にも馬車の事故に遭われて亡くなってしまった」
「そんな……」

「気分が悪い話でしょう?」

 リナリアは何も言えずにうなずいた。心の底から怒りが込み上がってくる。第三王子がしたことは絶対に許せない。

「お母様。もしかして、その公爵令嬢と婚約し、公爵家の後ろ盾を得た第三王子が、王位を継いだのですか?」

 もしそうだとしたら、大好きなシオンは、シェリーを裏切った第三王子の直系ということになってしまう。

 リナリアが暗い気持ちになっていると、予想外に母はニッコリと微笑んだ。

「違うから安心しなさい。これまでのお話は、世間一般で伝わっているお話よ。これから先は、シェリー様とオルウェン伯爵家だけが知っている真実のお話」

 母は悪戯っぽくリナリアが手に持っていた手記を指さした。

「さっき、『手記』って言ったでしょう? 手記は、自分が経験したり、体験したりしたことを書き記したもののことよ」

「だから、これはシェリー様が書かれたってことですよね?」

 リナリアがシェリーの手記をパラパラとめくると、そこには結婚式のことやら、子どもが生まれたことなどが書かれていた。

「あれ? シェリー様って、馬車の事故で亡くなったって言いましたよね?」

「そうよ。しかも、その事故は、実は第三王子が用済みになったシェリー様を亡き者にしようと、暗殺者に依頼したものだったの」
「え? でも、シェリー様は手記を書かれていますよ?」

「そう、だからね。シェリー様を暗殺するために雇われた暗殺者が、シェリー様に一目惚れしてしまったというのが、王家も知らないオルウェン伯爵家最大の秘密なの」

 母はもう一度シェリーの手記を指さした。

「読んでみなさいよ。とっても素敵なラブロマンスだから」

 リナリアは、母に言われるままに手記のページをめくった。