馬車から降りたリナリアは、走り出す馬車に向かって優雅に礼をしたあと、邸宅の中へと入っていった。
リナリアの後ろ姿が見えなくなると、シオンはため息をついた。
(驚いた……)
あまりに驚きすぎて、リナリアをエスコートすることすら忘れてしまっていた。
ついさっき、馬車の中でリナリアの顔が近づいてきたかと思うと、リナリアの唇がかすかにシオンの頬に当たった。それだけで、全身が熱でもあるかのように熱くなってしまう。
(かっこ悪い……)
リナリアの前ではいつでも冷静沈着な頼れる男でありたいのに、それがとても難しい。リナリアのことになれば、殺したいほど人を憎いと思ったかと思うと、すぐにリナリアが愛おしすぎて苦しくなる。
(はぁ、感情の振れ幅が大きすぎるよ)
でも、リナリアに関することなら、この自分ではどうにもならない感覚すら楽しいと思えてしまう。
馬車内でひとしきりリナリアへの愛おしさをかみしめたシオンは、馬車を学園へと向かわせた。護衛のギアムには「学園で私が戻るまで待つように」と伝えておいた。
シオンが乗った馬車が学園にたどりつくと、すぐにギアムが合流した。いつもの眠そうな態度ではなく、ギアムはキビキビと動いている。
(私の目的を察しているのかな?)
こういう勘の良さもギアムが上流階級に優遇される理由のひとつだった。
ギアムと共に学園内を歩き、ガーデンの休憩所へと向かう。そこには、リナリアの友人ケイトの姿はもうなかったが、お目当てのサジェスはテーブルに突っ伏すように一人で頭を抱えていた。
「サジェス」
シオンが声をかけると、サジェスは弾かれるように顔を上げた。
「……し、シオン殿下」
慌てて立ち上がり、深く頭を下げた。
「先ほどは、大変申し訳ありませんでしたっ!」
「謝る相手が違うんじゃない?」
シオンがクスッと笑うとサジェスは「そ、ですね……」と気まずそうな顔をする。
「リナリアから何があったか全て聞いたよ。リナリアは君を許さないって」
決してウソはついていない。だとしても、本当のことも言っていないが、サジェスの顔は絶望に染まっていく。
「……そんなに、リナリアが好きだったの?」
驚くサジェスの首をシオンは右手で強くつかんだ。シオンの手のひらの中で、ドクドクと脈打っている。苦しそうに顔を歪めるサジェスの耳元でシオンは囁いた。
「ねぇ、知っていた? リナリアってさ、はじめは君のこと『ケイトのお兄さんって優しそうで素敵ね』って言っていたんだよ」
リナリアをこっそりと見守っているときに、その言葉をリナリアの口から聞いた瞬間、サジェスを殺してやろうかとシオンは思った。
「リナリアは、兄弟がいないから優しいお兄さんに憧れていたんだ。あのままリナリアに暴言を吐かずに優しくしていたら、いつか好きになってもらえていたかもね」
サジェスは苦しむのも忘れて信じられないものを見るような顔をしている。
「本当だよ、サジェス。悔しいけど、君は誰よりもリナリアの夫に相応しかったんだ」
親友ケイトの優しい兄。ライラック伯爵家の次男。整った顔立ち。その全てが、婿養子を取らないといけないリナリアの伴侶の条件にピッタリと当てはまっていた。
「君が何もしなければ、あと数年で君たちの婚約が決まっていたかもね」
実際、リナリアとサジェスの親たちの間では、そういう話も上がっていたようだ。もちろん、シオンは徹底的に邪魔をしてやろうと思っていたが、その前に勝手にサジェスが自滅してくれた。
「サジェス、自分からわざわざリナリアに嫌われてくれて本当にありがとう。おかげで私も君を殺さずにすんだよ」
驚いていたサジェスの瞳に激しい憎悪が浮かんだので、シオンは満足してつかんでいたサジェスの首を強く押し突き飛ばした。
激しくむせながら地面に尻もちをついたサジェスを、ギアムが素早く押さえつける。
シオンは「えっと、なんだったっけ?」と言いながらわざとらしく腕を組んだ。
「あ、そうそう。確か君はリナリアに、『俺に押し倒されても抵抗もしない』とか、『そうやってシオン殿下も誘ったのかよ!?』とか言っていたよね?」
シオンはギアムに押さえつけられているサジェスを冷たい笑顔で見下ろした。
「あれ? サジェス、どうして抵抗しないの? もしかして、ギアムを誘っているの?」
カッとなったサジェスは、「んなわけあるかっ!?」と叫びながら、暴れようとしたが、大柄のギアムに押さえつけられて少しも動けない。
そんなサジェスを、虫けらを見るような目で見つめながら、シオンは「君がリナリアにしたことは、こういうことだよ」と淡々と告げた。
「君のことは殺したいけど、私がリナリアと一緒になるには残念だけど殺人は犯せないんだ。仕方がないから、腕一本で許してあげる」
シオンは「彼の効き腕はどっちかな?」とサジェスではなくギアムに聞いた。
「この感じだと、たぶん右ですね」
「じゃあ、左を折っちゃって」
「はい」と同意の言葉と同時に鈍い音がして、サジェスの悲鳴が辺りに響いた。
「利き腕は残してあげるよ。だって君はこの学園を辞めて、これから騎士学校に転校するからね。サジェスは、本当はずっと騎士になりたかったんだよね?」
シオンは、痛みで浅い呼吸を繰り返すサジェスの赤い髪をつかんでウンウンと強制的にうなずかせた。
「リナリアの名誉のために、今回のことは公表できないからね。でも、私は君を許すつもりはない。だから、君にはリナリアの前から消えてもらうよ。サジェス、君はこの学園に入学したものの、騎士になりたいという夢をあきらめきれず、途中で転校してしまう設定だよ」
激痛に耐えているサジェスは何も反論してこない。
「フフッ、君の愚行のおかげで君のご両親、ライラック伯爵家にも盛大に恩が売れそうだよ。なんたって、私は強姦未遂の息子の罪を黙っていてあげるんだからね。せっかくだから、ライラック伯爵には、リナリアと私の婚約の後押しでもしてもらおうかな?」
サジェスの目から静かに涙が溢れ、地面に小さな黒いシミを作っていく。
「あーあ、可哀想なサジェス。リナリアを好きにならなければ良かったね」
シオンがもう一度サジェスの髪をつかんで無理にうなずかせようとしたが、サジェスは、今度は決して首を縦に振らなかった。
リナリアの後ろ姿が見えなくなると、シオンはため息をついた。
(驚いた……)
あまりに驚きすぎて、リナリアをエスコートすることすら忘れてしまっていた。
ついさっき、馬車の中でリナリアの顔が近づいてきたかと思うと、リナリアの唇がかすかにシオンの頬に当たった。それだけで、全身が熱でもあるかのように熱くなってしまう。
(かっこ悪い……)
リナリアの前ではいつでも冷静沈着な頼れる男でありたいのに、それがとても難しい。リナリアのことになれば、殺したいほど人を憎いと思ったかと思うと、すぐにリナリアが愛おしすぎて苦しくなる。
(はぁ、感情の振れ幅が大きすぎるよ)
でも、リナリアに関することなら、この自分ではどうにもならない感覚すら楽しいと思えてしまう。
馬車内でひとしきりリナリアへの愛おしさをかみしめたシオンは、馬車を学園へと向かわせた。護衛のギアムには「学園で私が戻るまで待つように」と伝えておいた。
シオンが乗った馬車が学園にたどりつくと、すぐにギアムが合流した。いつもの眠そうな態度ではなく、ギアムはキビキビと動いている。
(私の目的を察しているのかな?)
こういう勘の良さもギアムが上流階級に優遇される理由のひとつだった。
ギアムと共に学園内を歩き、ガーデンの休憩所へと向かう。そこには、リナリアの友人ケイトの姿はもうなかったが、お目当てのサジェスはテーブルに突っ伏すように一人で頭を抱えていた。
「サジェス」
シオンが声をかけると、サジェスは弾かれるように顔を上げた。
「……し、シオン殿下」
慌てて立ち上がり、深く頭を下げた。
「先ほどは、大変申し訳ありませんでしたっ!」
「謝る相手が違うんじゃない?」
シオンがクスッと笑うとサジェスは「そ、ですね……」と気まずそうな顔をする。
「リナリアから何があったか全て聞いたよ。リナリアは君を許さないって」
決してウソはついていない。だとしても、本当のことも言っていないが、サジェスの顔は絶望に染まっていく。
「……そんなに、リナリアが好きだったの?」
驚くサジェスの首をシオンは右手で強くつかんだ。シオンの手のひらの中で、ドクドクと脈打っている。苦しそうに顔を歪めるサジェスの耳元でシオンは囁いた。
「ねぇ、知っていた? リナリアってさ、はじめは君のこと『ケイトのお兄さんって優しそうで素敵ね』って言っていたんだよ」
リナリアをこっそりと見守っているときに、その言葉をリナリアの口から聞いた瞬間、サジェスを殺してやろうかとシオンは思った。
「リナリアは、兄弟がいないから優しいお兄さんに憧れていたんだ。あのままリナリアに暴言を吐かずに優しくしていたら、いつか好きになってもらえていたかもね」
サジェスは苦しむのも忘れて信じられないものを見るような顔をしている。
「本当だよ、サジェス。悔しいけど、君は誰よりもリナリアの夫に相応しかったんだ」
親友ケイトの優しい兄。ライラック伯爵家の次男。整った顔立ち。その全てが、婿養子を取らないといけないリナリアの伴侶の条件にピッタリと当てはまっていた。
「君が何もしなければ、あと数年で君たちの婚約が決まっていたかもね」
実際、リナリアとサジェスの親たちの間では、そういう話も上がっていたようだ。もちろん、シオンは徹底的に邪魔をしてやろうと思っていたが、その前に勝手にサジェスが自滅してくれた。
「サジェス、自分からわざわざリナリアに嫌われてくれて本当にありがとう。おかげで私も君を殺さずにすんだよ」
驚いていたサジェスの瞳に激しい憎悪が浮かんだので、シオンは満足してつかんでいたサジェスの首を強く押し突き飛ばした。
激しくむせながら地面に尻もちをついたサジェスを、ギアムが素早く押さえつける。
シオンは「えっと、なんだったっけ?」と言いながらわざとらしく腕を組んだ。
「あ、そうそう。確か君はリナリアに、『俺に押し倒されても抵抗もしない』とか、『そうやってシオン殿下も誘ったのかよ!?』とか言っていたよね?」
シオンはギアムに押さえつけられているサジェスを冷たい笑顔で見下ろした。
「あれ? サジェス、どうして抵抗しないの? もしかして、ギアムを誘っているの?」
カッとなったサジェスは、「んなわけあるかっ!?」と叫びながら、暴れようとしたが、大柄のギアムに押さえつけられて少しも動けない。
そんなサジェスを、虫けらを見るような目で見つめながら、シオンは「君がリナリアにしたことは、こういうことだよ」と淡々と告げた。
「君のことは殺したいけど、私がリナリアと一緒になるには残念だけど殺人は犯せないんだ。仕方がないから、腕一本で許してあげる」
シオンは「彼の効き腕はどっちかな?」とサジェスではなくギアムに聞いた。
「この感じだと、たぶん右ですね」
「じゃあ、左を折っちゃって」
「はい」と同意の言葉と同時に鈍い音がして、サジェスの悲鳴が辺りに響いた。
「利き腕は残してあげるよ。だって君はこの学園を辞めて、これから騎士学校に転校するからね。サジェスは、本当はずっと騎士になりたかったんだよね?」
シオンは、痛みで浅い呼吸を繰り返すサジェスの赤い髪をつかんでウンウンと強制的にうなずかせた。
「リナリアの名誉のために、今回のことは公表できないからね。でも、私は君を許すつもりはない。だから、君にはリナリアの前から消えてもらうよ。サジェス、君はこの学園に入学したものの、騎士になりたいという夢をあきらめきれず、途中で転校してしまう設定だよ」
激痛に耐えているサジェスは何も反論してこない。
「フフッ、君の愚行のおかげで君のご両親、ライラック伯爵家にも盛大に恩が売れそうだよ。なんたって、私は強姦未遂の息子の罪を黙っていてあげるんだからね。せっかくだから、ライラック伯爵には、リナリアと私の婚約の後押しでもしてもらおうかな?」
サジェスの目から静かに涙が溢れ、地面に小さな黒いシミを作っていく。
「あーあ、可哀想なサジェス。リナリアを好きにならなければ良かったね」
シオンがもう一度サジェスの髪をつかんで無理にうなずかせようとしたが、サジェスは、今度は決して首を縦に振らなかった。