リナリアがシオンと手を繋ぎながら王家の馬車をとめている場所に向かって歩いていると、途中にあるベンチで寝ていた男子生徒がムクリと起き上がった。

 驚くリナリアにシオンは「大丈夫、私の護衛だよ。今日の護衛は、ゼダではなくギアムなんだ」と教えてくれた。

 ギアムと呼ばれた大柄な男子生徒は、眠そうに大きなあくびをしている。ベンチで眠っていたせいか、肩まで伸びたギアムの髪は寝癖がついて跳ねていた。

(この人……確か、前にローレルと一緒にいた護衛の人だわ)

 今日もネクタイをしていないので、ギアムの学年は分からない。リナリアの視線に気がついたのか、ギアムと一瞬、目があったがギアムはシオンに話しかけた。

「殿下、帰りますか?」
「うん」

 ギアムは「よっこらしょ」と言いながらベンチから立ち上がると、シオンとリナリアの後ろについてきた。

(この護衛の人は、ローレルの味方なのかな? ということは、シオンの敵?)

 そんなことを考えていると、シオンが繋いでいる手にギュッと力を込めた。

「リナリアは、ギアムが気になるの?」
「えっと、はい。前にローレル殿下と一緒にいたような?」

「うん、ギアムとゼダは、私とローレルの護衛でね。ときどき入れ替わって護衛につくんだ」

 リナリアもゼダがずっとシオンの護衛をしているわけではないことは知っていたが、他の護衛がこんなにやる気のなさそうな人とは思っていなかった。

「そうなんですね」
「ギアムはゼダの兄でね」

「そうなんですね……? えっ!? そうなんですか!?」

 リナリアは、慌てて後ろを歩いているギアムを振り返った。礼儀正しく真面目そうなゼダとは違い、ギアムはどちらかというと素行が悪そうな雰囲気が漂っている。

 シオンが「驚くリナリアも可愛いね」とクスクスと笑っているうちに、王家の馬車までたどり着いた。

 シオンにエスコートされながら馬車に乗り込むと、リナリアは向かいの席に座ったシオンに尋ねた。

「シオン、あのギアムって人、大丈夫なんですか?」
「大丈夫って?」

「その、なんだか怖そうですし、ローレル殿下の味方なのかなって……」
「ああ、そういうこと?」

 シオンは馬車の扉の向こう側で、馬車に向かって頭を下げているギアムに手を振った。すると、ギアムはこれで仕事は終わったとばかりにまたあくびをする。

「ギアムのことは、心配しなくて大丈夫だよ。彼は誰の味方でもないから。ゼダとギアムは、子どものころから天才剣士と言われるくらい強くてね。あそこまで強いと、性格も個性的だよね」
「ゼダ様もですか?」

「うん。ギアムは強すぎて周りが少しも気にならないんだ。たぶん、私やローレルを含めて誰にも興味がないんじゃないかな? 逆に、ゼダは強すぎて普通の人なら気がつかないようないろんな部分が見えてしまうみたい」

(ものすごく大雑把なギアム様と、ものすごく繊細なゼダ様って感じかな?)

 リナリアが『ギアム様が、シオンの敵じゃなくて良かった。でも味方でもないのね』と思っていると、いつの間にかシオンがリナリアの隣に移動していた。

「え?」

 シオンは人差し指をたて、その指をリナリアの唇につける。

「この話はこれでおしまい。これ以上、私以外の男に興味を持たれると妬いてしまうよ」

 甘えるような声で話すシオンを見て、今朝、馬車内で、シオンを襲ってしまいそうになったことを思い出し、リナリアは少しだけ距離をとった。

「えっと、シオン。馬車の中は、誰も見ていないので恋人のふりをする必要はないのでは?」

「ダメだよ、リナリア。誰も見ていないところだからこそ、ちゃんと演じないと。大事なときにボロが出てしまう」
「そっか……そうですね! さすがシオン」

 リナリアが尊敬の瞳を向けると、シオンはニッコリと微笑んだ。

 その後は、恋人繋ぎをしたまま互いの好きなものについて話した。好きな食べ物、得意な教科、好きな色。自分の好きなものを伝えてシオンの好きを知るたびに、リナリアは胸の中に温かい何かが積み重なっていくような気がした。

「私の大好きな花はね」と言ったシオンは、リナリアの耳元で囁く。

「リナリア」

 リナリアの鼓動が大きく跳ねた。顔が赤くなってしまったが、これは名前ではなく花の名前だと慌てて自分に言い聞かせる。

 リナリアの花は、上部分に花びらが二枚あり、下部分の花びらがベルのようになっている。優しい色合いのものが多く、小ぶりな花が集まって咲く可愛いらしい花だ。

 それはリナリアの母も好きな花だった。

「私の母もリナリアの花が好きなんですよ。結婚前、父が母に会うたびにいつもリナリアの花を贈ってくれて、それでその花を好きになったって言っていました」
「そうなんだ、素敵なご夫婦だね。憧れてしまう」

「私の名前もリナリアの花からもらったんですよ。シオンは、どうしてリナリアの花が好きなんですか?」

 そう尋ねると、シオンは照れるように頬を赤く染めた。

「リナリアはね、すごく可愛いんだ。見ているだけでとても幸せな気分になれる。知れば知るほどもっと知りたくなるし、その全てがほしくなってしまう。側にいると、とても温かくて幸せな気持ちになるんだ。本当なら今すぐに手折って私の部屋に閉じ込めて、もう二度と他の誰にも見せたくないくらい愛おしい」

 こちらを見つめるシオンの瞳の奥に暗い灯りがゆらゆらと揺れている。シオンは、まるで壊れやすいものにふれるように左手でそっとリナリアの頬をなでた。

「でも、そんなことはしないよ。嫌われたくないからね」
「嫌われたくない……? えっと、シオン。それってお花の話ですよね?」

 シオンは「もちろん、花の話だよ」と爽やかに微笑んだ。その美しい笑顔に思わず見とれてしまう。

(綺麗……)

 ニコニコと優しい笑みを浮かべるシオンも大好きだが、魅入られてしまいそうな危うい雰囲気が漂うシオンも素敵だ。

(私、シオンのことがこんなに大好きで大丈夫かな? いつか他の人と結婚して伯爵家を継がないといけないのに。もし、学園を卒業しても、私がシオンのことを忘れられなかったらどうしよう? それって、私の夫になってくれる人にものすごく失礼だよね……。私みたいに可愛くもない妻をもらうだけでも可哀想なのに……)

 サジェスの『モブ女』という言葉がチクチクと胸に刺さる。

(私がもっと可愛かったら、恋人のふりじゃなくて、本当にシオンと付き合えたのかな? もし、私が伯爵家の後継ぎじゃなかったら……)

 そんなことを考えても仕方がないとリナリアは小さくため息をついた。シオンへの恋心は、いつか必ずあきらめないといけない思いだ。

 シオンは「どうしたの? リナリア」と心配そうな顔をしている。

「いえ、大丈夫です」

 心配をかけたくなくてリナリアがそう伝えると、シオンはなぜか悲しそうな顔をした。シオンは何も言わなかったが、繋いだ手にギュッと力がこもる。

(もう少しだけ……。シオンの悪評がなくなるまでは、この幸せな夢をみていてもいいよね? 絶対にちゃんとあきらめるから)

 シオンと繋いだ手をリナリアもそっと握り返した。