次の日、リナリアは予想外の人に呼び止められた。

 学園内で見知らぬ男子生徒に声をかけられたときは『サジェスの友達が罰ゲームをしにきたの!?』と警戒したが、真面目そうな男子生徒は「私は殿下の護衛です」と礼儀正しく頭を下げた。

「殿下の?」

 この学園には、現在二人の王子が通っている。第一王子のローレルと、第二王子のシオンだ。どちらの王子も美しい金髪と王族特有の紫色の瞳を持っていた。二人は背格好がよく似ているため、普通の人はパッと見ただけでは見分けることが難しい。

 でも、この学園内では学年ごとにネクタイの色が異なるので簡単に見分けることができた。兄ローレルが弟のシオンより一学年上なので、二人はネクタイの色が違うのだ。

 ちなみにシオンはリナリアより二学年上で、サジェスとは同級生になる。

(まさか……)

 一瞬、罰ゲームのことを考えたが、すぐに『それはないか』と考えを改めた。王子たちが最低なサジェスが考えた罰ゲームにのるとは思えない。

 それに、シオン王子がとても優しいことをリナリアは知っている。

 どうしてそんなことを知っているかというと、リナリアが子どもの頃に、貴族たちの交流を兼ねて王宮のお茶会に親子で招かれたことがあった。その際に、嫌な目に遭ったリナリアにシオンは「大丈夫?」と優しく声をかけてくれた。

 リナリアが涙でぐしょぐしょになった顔を上げると、シオンはなぜか悲しそうな顔で「ごめんね」と謝って、リナリアが泣き止むまでずっと側にいてくれた。

(あのときから、私、シオン殿下の大ファンなのよね)

 成長したシオンは、あちらこちらで女性との恋のウワサが立つような愛の探究者になってしまったが、あんなにも優しく美しいシオンを女性のほうがほっておかないので仕方がないと思う。それ以外にもなぜか性格が悪いだの、素行が悪いだのというシオンを陥れるようなウワサもあるが、リナリアは少しも信じていない。

(だって、学園でそんな殿下をお見かけしたことがないもの)

 遠目で見るシオンは、いつでも誰にでも優しく誠実だった。誰かが優しいシオンを陥れるために悪評を流そうとしているのかもしれない。

 そんなことを考えながら、リナリアは呼び出された場所に行くと、遠目で見てもキラキラと輝く美しい男性が立っていた。

(シオン殿下?)

 それは確かに第二王子のシオンだった。彼の大ファンのリナリアは、この距離でもシオンを見間違えることはない。シオンを見ると無意識にときめいてしまうからだ。ちなみに、ローレルを見かけても少しもときめかない。

 もちろん、他にも二人の王子を見分ける方法はいくつかあって、二人はよく見ると前髪の分け目が微妙に違う。あとは、これは子どもの頃、慰めてもらっているときに偶然見つけたのだが、シオンは右耳の後ろらへんに小さなホクロがある。

 リナリアがぼうぜんとしながらシオンを見つめていると、シオンは紫色の瞳を優しそうに細めて、上品に微笑みながらこちらに近づいてきた。

「リナリア嬢、来てくれて嬉しいです」

 憧れの人に名前を呼ばれて、雷が落ちたような衝撃がリナリアの全身に走る。

 それと共に違和感も覚えた。

(どうして、殿下が私の名前を知っているの?)

 公爵令嬢や侯爵令嬢ならいざしらず、雲の上のシオン王子が、美しくもない伯爵令嬢の名前なんていちいち覚える必要があるだろうか?

(ケイトくらいの美人にもなると、他の学年の人でも知っていそうだけど)

 モブと呼ばれるくらいの自分がシオンに知られているのはおかしい。よくよく見てみると、呼び出された場所は、昨日サジェスたちがカードゲームをしていた休憩所だった。

 どうやら、シオンもあのカードゲームの場にいたようだ。

(もしかして、シオン殿下が負けてしまって、罰ゲームをやらされているの?)

 罰ゲームの内容は、リナリアをウソで口説き落とすこと。ということは、今からシオンに口説かれるというわけで。

(え? え? そんな夢のようなことが?)

 リナリアが内心パニックになっていると、シオンは憂いを帯びた顔で右手を自身の胸に添えた。

「リナリア嬢、私は以前からずっとあなただけを見つめていました」

 シオンから溢れ出る色気にくらくらする。

「急にこのようなことを言う私をどうかお許しください。でも、もうこれ以上はこの想いを秘めてはいられません」

 シオンの切なそうな声を聞いていると、こちらまで切なくなってくる。

(演技派! シオン殿下、演技がうますぎるわ!)

 あまりに熱のこもった演技に、これが全てウソだということを忘れてしまいそうだ。

(ダメダメ、例えシオン殿下でもウソで女性を口説くような最低野郎は許してはダメよ。睨みつけて……そう、睨みつけて……)

 背の高いシオンを見上げると、紫水晶のような瞳が不安そうに揺れている。リナリアは、心臓が跳ね上がり思わずうつむいた。視界には、シオンの足が見えている。

(最低男の足を、ふ、踏みつけ、て……そんなの無理!!!)

 ウソでも最低でもなんでも良い。長年の憧れのシオンにならひどく傷つけられてもかまわない。

(だって、シオン殿下はこんなことがないとお話する機会もないくらいのお方なのよ!?)

 そのシオンがウソとはいえ、リナリアを口説いて熱い視線を向けてくれている。

 この国の長い歴史の中では、美しい伯爵令嬢が王子に見初められて嫁いだという事例はある。しかし、それは奇跡のような出来事で普通ではあり得ない。その奇跡を起こせるのは、ヒロインのように美しい女性だけだ。

 国が学園に通うように義務づけてからは、本人達の意思が尊重され、身分違いの恋もそれなりに寛容になったとはいえ、王子の婚約者にはやはり公爵家や侯爵家から選ばれるのが普通だった。

(私なんかがシオン殿下の恋のお相手になりたいだなんて、夢を見るだけで失礼だわ)

 シオンはのちのち公爵の地位を与えられ、王位についた兄ローレルを公私ともに支える立場になる。現実的に考えても、オルウェン伯爵家を継ぐために婿養子を取らなければいけないリナリアが王族と婚姻を結ぶことはあり得ない。

(シオン殿下と二人きりでお話しできるなんて、例え罰ゲームでも幸せ……)

 リナリアが感動に打ちひしがれていると、シオンは悲しそうに目をふせた。

「ご迷惑でしたよね?」

「い、いえ、いえ。あ、その、とても嬉しい、です」

 そのとたんにシオンが本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。その笑顔のあまりの神々しさにリナリアは両手で顔を覆う。

(め、目が……シオン殿下が眩しすぎて私の目が潰れてしまうわ!!)

 動揺してはいけないと思っても、どうしても動揺してしまう。

(ダメよ! 今もどこかでサジェスたちが、動揺する私を見て笑っているかもしれないのに!)

 サジェスにバカにされるのは嫌だ。でもそれ以上に、シオンが麗しすぎて全てがどうでも良くなってしまう。

(そうよ、ウソでも良いじゃない……バカにされてもいいわ! だって、シオン殿下には罰ゲームでも、私にとってはご褒美だもの!)

 どうせ学園を卒業したら、父が決めた男性と結婚して婿養子に来てもらうのだ。それまでに、一度くらい乙女な夢を見ても罰は当たらないだろう。しかも、その夢を見る相手がまさかのずっと憧れていたシオンなのだ。

(最低男サジェス……ありがとう。今日だけは感謝するわ)

 リナリアがうっとりしながらシオンを見つめると、シオンは優しく微笑んだ。