昨晩、別れ際にLINE交換をした。
 渡邊がファミレスの支払いをしている間に、やり取りをする。
「坂田っていうの?」
 名前を確認する。
「ああ。ネエチャンらは——」
「アタシは夏月。コッチが朋絵」
「オッケー。なんかあったら連絡してな。なるべく近くにおるつもりやけど——」
 そう言って、少年(坂田)と別れた。
 
 三月二十六日——朝。
 疲れが溜まっていたのか、夢を見ることもなく、泥のように眠っていた。
 ホテルをチェックアウトする客の、廊下で行き交う声が遠くに聞こえる。
 目が覚めたのは、九時過ぎだった。
 朋絵は先に起きて、もうバッチリメイクを完了していた。つくづく、感心する。その半分くらいの女子力が、夏月にも欲しかったと思う。
 むっくりと起き出し、洗面所に向かった。
 赤茶けた猫っ毛をブラシで解く。
 左眼の充血はだいぶひいていたが、相変わらず、右腕は痛んだ。
 朋絵が、今から出発——とLINEすると、坂田からすぐにOKスタンプが返ってきた。
 連泊させてもらったホテルから大きな荷物を持ち出し、フロントで支払いを済ませてチェックアウトした。辺りを見回したが、坂田たちが何処にいるのか判らなかった。
 モダンな建築の京都駅まで歩き、駅構内にあるうどん屋で遅い朝食を摂った。出汁の効いたコシのあるうどんと、お稲荷さんが美味しかった。
 大阪方面のホームで電車を待っていると、手を振って階段を降りてくる少年が現れた。
 ——坂田だ。
 昨日の学生服とは違い、Gパンに黒い上着を羽織っている。
 適度な距離で見守ると言っていたが……。
 距離を縮めてきた意味がすぐに分かった。坂田と渡邊は、もうひとり、背の高い青年を連れてきていた。
 眼鏡をかけたごく普通の青年——。
「あの人……」
「昨日の——」
 ふたりはギョとした。
 それとは逆に坂田はニコニコ笑っている。
「捕まえたでぇ」
 カブトムシでも捕らえたかのような口調で言った。
 
 姫路行の新快速がホームに滑り込んでくる。五人は通勤ラッシュ時間が過ぎた、比較的空いた車内に乗り込んだ。ふたり掛けシートを向かい合わせに座る。眼鏡の青年の横に渡邊が座り、その向かいに朋絵と夏月が座った。坂田は渡邊の横に立っている。
「——ネエチャンらが泊まってた、ホテルの前のビルにおってん。それ捕まえて連れてきた」と、得意そうに説明した。
 昨日同様、爽やかなスーツ姿の渡邊は、昨晩、夏月たちにそうしたように、慣れた手つきで名刺を青年に差し出した。
「躑躅堂……」
「古書店を経営しています。表は」
 同じように説明する。
 青年は少し驚いた表情をした。
「もしかして、京大の近所にあったりします?」
「よくご存知で——」
 渡邊は微笑む。が、目は鋭い。
「僕、歴史文化学専攻なんです」
 青年は気にせず、眼鏡の奥を細めた。
「だから、古本屋にはよく入り浸ります。あ、でも、今、その話は関係ないですね。すみません。——僕、佐伯仁って言います」
 青年——佐伯がそう名乗った。
「表が古書店ということは、裏があるっていうことでよね」
「ご推察の通り、拝み屋をしております」
 ふふっと、佐伯は笑う。
「自分のこと拝み屋だっていう人に会うの、ふたり目です」
「ほう。ひとり目はどなたですか?」
 眼光鋭く渡邊が尋ねた。
 佐伯は苦笑いする。
「それは、答えられないです。すみません」
「何故です? ——彼女たちに聞きました。貴方は誰かに頼まれて、昨日のあの現場にいたらしいですね? 頼んだのは、もしかして、そのひとり目の方ですか?」
 矢継ぎ早に、渡邊に問いかけられた。
 佐伯は感心した表情を向ける。
「——鋭いですね。でも、先に断っておきます。その人のことは、僕、言えません。言うなって言われてますし——、言って良くても、まぁ、語れるほど、その人のことは知りませんけど」
「貴方とその人の関係は?」
 佐伯はしばらく考えて、
「雇用主とアルバイト……ですかね」
 首を傾げて答えた。
「アルバイトで、ネエチャンを身体張って守ってたっていうことなん?」
 ここで坂田が口を挟んだ。
「まぁ、そういうことです。——近々、思いも寄らぬ出来事が起こるから、その時に出会った人について行き、守るように。というのが、今回のお仕事です」
 坂田は呆れ気味に溜息を吐いた。
「ニイチャンがおらんほうが、無事やったんとちゃうん?」
 佐伯は眉を顰める。
「それは心外です」
 佐伯は怒ったポーズをとった。
「既に決められたルートなんで、僕がどういった行動をとろうが、必ず遅かれ早かれ、形を変えて起こる事象だった、らしいんで」
「それは、その人が言ったことですか?」
 渡邊がすかさず訊いた。
「——ですね……」
「成程——」
 渡邊が表情なく頷く。
「随分と、未来の出来事を、的確に予言されるようですね」
 横目で見る渡邊に対し、佐伯は屈託なく笑った。
「そうなんですよ。恐ろしいほど、当たるんです。そんじょそこらの占い師や自称予知能力者より、確実に当たります」
 我が事のように自慢げに話す佐伯。
 水を差すように——
「自分でやってんのとちゃうやろうな」
 坂田が言った。
「えっ?」
「自作自演ちゃうかって言ってんねん」
 佐伯はハッとなり、慌てて手を振る。
「いや、それはない。それはないと思う」
「ほんまかいな」
 坂田は疑いの目を向けた。
 渡邊が間に入る。
「話を少し戻しますね」
「あ、はい——」
 佐伯が渡邊に向き直った。
「——貴方は、アルバイトとして彼女の身を守る仕事を請け負った、と。つまり、彼女に起こっている現象の原因は、貴方自身ではない、と」
「——勿論。あ、でも、原因の発端にはなってしまったかもしれませんね。静岡駅で擦れ違った時、思いも寄らない、雷に撃たれたような電気が走りましたんで。まぁ、だから、彼女についてきたんですけど……」
「あれは何だったんですか?」
 夏月は勇気を出して訊いてみた。
「あれは——僕のひみつ道具と君の【護符】が近距離ですれ違った所為で、強い反応をみせたんだと思うよ」
 説明されても解らない。
 ふたつ、理解出来ないワードが出てきた。
「ひみつ道具って?」
 夏月は首を傾げた。
 ——もしかして、ドラえもん?
「いや、それは企業秘密だから言えないよ」
 答えて頂けない。
「じゃあ【護符】っていうのは?」
 佐伯は苦笑いする。
「それも僕には答えられない。君が肌身離さず身につけてるモノなんじゃないかな」
 まったく要領を得ない回答に、夏月は口を尖らせた。
 ——身に覚えがない。
「そんなのないですけど……」
「おそらく、気づいてないだけじゃないかな。雇用主の話だから、僕もそれが何かわからないよ」
「じゃあ、アタシは呪われてるわけじゃないの?」
 うーん、と佐伯は言葉を探す。
「僕と出会ってしまったことで、【護符】が強く反応してしまった。【護符】は今、君を守るために必要以上に【気】を出してる。悪い霊? 妖怪? 鬼? が、興味を持って集まりやすくなってる」
「——なんで? 夏月がそんな危ない護符を持ってるの?」
 黙って話を聞いていた朋絵が、割って入ってきた。
「もともと霊を呼びやすい体質なんじゃないかなぁと思う。だから、それを避けるために護符を持ってるんじゃないかなと……」
 ああ、もうわからない。
「じゃあ、どうすればいいの?」
 夏月と朋絵の声が重なった。
「【護符】が何か分からない上に、【護符】が霊を呼んでいるって。しかも、【護符】が何か分かって取り外したとしても、もともと霊を呼びやすい体質じゃ意味ないじゃん」
 朋絵が怒るように言った。
 佐伯は困った顔をする。
「僕の仕事はあくまで君を無事に東京に帰すこと。【護符】をどうこうするスキルもないし、どうしたらいいか、ごめん。それはわからない……」
 はぁ、とふたりは溜息を吐いた。
 ゆっくりと渡邊、坂田を順に見る。
 坂田が慌てて両手を振った。
「悪い。俺らもそういう【力】は持ってへん。拝み屋にも得意不得意はある」
 なるほど。へぇ、そうなんだ……。
 仕方ないのか。
「——佐伯さん、すみません」
 思案顔で話を聞いていた渡邊が、手を上げた。
「東京に帰すまでが貴方の仕事ということは——その先は? 東京に戻れば、その人が、どうにかするということでしょうか」
「ああっ」
 と、佐伯は声を上げた。
「そうですね。そうなんでしょうね」
 うんうんと、失念していたと思われる佐伯が頷く。
 ——と言うことは。
「……旅行止めて、帰ったほうが、いいっていうことですか?」
 口を尖らせて夏月は言った。
「これ以上、嫌な目に遭いたなかったら、そういうことかな」
 坂田は無情に言い放った。
「朋絵——どうしよう」
 泣きたくなる。
「——夏月、気持ちわかるよ。でも、たぶん……夏月のためだよ。岡本優弥くんの個展だけ、それだけ見たら帰ろう」
 そこだけはどうしても譲れない。
「えーっ? 明日も予定あるのに……」
「大丈夫だよ」
 朋絵は夏月の頭を優しく撫でた。