十四時一分発浜松行の電車に乗り込んだ。予定していたより一時間遅れだ。
 駅員に救急車を呼んでもらうのは、大仰なので、それはやはりやめてもらった。病院に運ばれたら、旅が続けられなくなるかもしれない。
 そこまで、頭痛も酷くないし。
 それでも少し不安なので、駅長室でしばらく休ませてもらうことにした。駅員の好意でソファーで横になった。朋絵に手鏡を借り、左眼を確認したが、確かにこれは酷い。
 眼球全体が血で染まっていた。
 虹彩だけが金色に光る。
 それでも、視力や視界に問題はない。
 眼球を動かすのに、少しゴロゴロと違和感を感んじるが不自由なこともない。
 不安はあるけど、それよりも、旅を続けたい気持ちが勝った。
 朋絵と一緒に京都に行きたかった。
「ゴメンね。迷惑かけて」
「何言ってるの。夏月の所為じゃないでしょ。絶対、アイツなんかやったんだよ。ホントに何もしてなかったら、逃げる必要なんてないんだから」
 自分より怒ってる朋絵に、夏月は苦笑いする。
 浜松、豊橋で電車を乗り換え、夜の帳が下りる頃、滋賀県の米原に到着した。あとひとつ、電車を乗り換えれば、京都に着く。
「暗くなったね」
「琵琶湖って電車から見えるのかな」
「この暗さだと、難しいかも」
「そだね」
 ホームとホームを繋ぐ、跨線通路を渡る。階段を降りきったところで、視界の左端を何かがよぎった。
 夏月はすぐに顔を向けたが、よぎったモノが解らなった。何か淡く光るモノが、ふわりと飛んでいたような気が……。
「どうしたの?」
「んー、何でもない」
 探しあてられそうもないので、すぐに諦めた。
「大丈夫?」
 朋絵は夏月の身体を気遣ってくれている。
「うん。大丈夫」
 ふたりは、電車に乗り込んだ。
 
 夜、十九時過ぎ——。
 古都のイメージを壊さない、近代的な駅舎に降り立つ。新旧が融合した、言葉では表せない独特な雰囲気が漂っていた。京都駅の中央口から北側に出ると、大きな蝋燭が立っていた。
「何だっけコレ」
 赤茶けた髪を掻き上げながら、夏月は見上げ、首を傾げた。
「京都タワーじゃなかった?」
「ああ、そうそう、中学の修学旅行でも見たわ」
「アタシも。——上に登った?」
「えっ? アレ登れるの?」
 確かに展望台のような場所が見える。京都タワーの天辺を見上げながら、ホテルに向かって歩いた。
 身体の負担を心配して、バスか地下鉄に乗って移動しようと朋絵は提案してくれたが、ずっと電車に乗っていたので、身体がバキバキに固まっている。夏月はなるべく歩きたかった。大きく伸びをする。
 夜風が頬を優しく撫でて、気持ちいい。
 烏丸通りを北に上ると長い塀が現れた。
「お寺?」
「東本願寺だって」
 塀に沿って歩くと、大きな門——御影堂門の前に、突っ立ている少年が見えた。夏月たちより二、三歳若い——中学生くらいの背の低い少年が壮麗な二重屋根の門を睨み据えている。
 古い建造物に興味でもあるのだろうか。
 ——何を見ているんだろう。
 少年の視線の先を、夏月は目で追った。
 二重になった屋根の下側に、ぼやっとした明かりを見つけた。
 ——青白い感じの。
 何んとなく、米原駅のホームで視界の端に捉えた、淡く光るモノに似ているような気がした。
「——アレ、何だろう?」
「何が?」
「ほら、あの門の真ん中の、屋根のあたりにある、ぼーっとした光」
「何処よ?」
 訝しむ朋絵は、夏月の指先を辿ったが、それらしいモノを見つけられなかった。
「え? あそこにあるじゃん。バスケットボールくらいの光。見えない?」
「わかんないよ」
「うそぉ」
 ふたりが騒いでいるのに気づいた少年は、仕方なく視線を外し、近づいてきた。
「アンタらアレ見えるん?」
 背中越しに親指で示す。
「えっ?」
 朋絵は驚き、夏月は頷いた。
「なるほど」
「アレは何なの?」
「わからへんのやったら、知らんのほうがエエんとちゃう」
「どういうこと?」
「そういうこと」
 困惑気味な夏月と澄まし顔の少年を、朋絵は交互に見た。不穏なものを感じる。
「悪いこと言わへんから、さっさとココから離れてくれへん?」
「何が起こるの?」
 問いかけた夏月の腕を掴み、朋絵が走り出した。
「夏月、行こう!」
「と、朋絵、何?」
「ダメだって。何か、分からないけど、女の勘。夏月は今日、メチャクチャ男運が悪いからっ!」
「はっ? ——」
 意味がわからなかったが、静岡駅のことを思い出す。成程——朋絵の言う通りなのかもしれない。
 危険を告げる信号が、
 過去に経験したことのある騒めきが、
 ——身体中を駆け巡る。
 それでも目を離せない。
 少年と対峙するモノ。
 強引に夏月の腕を掴み、朋絵は引き摺りながら走るように促す。夏月の視界から、早く少年の姿を消すために、通りを左に曲がった。
 
 ヘッドライトを点けた車が、ひっきりなしに行き交う。五条通りを北に渡り、小路を少し入った細長いホテルにチェックインする。ふたりは予約しておいた部屋に入り、どっとベッドに崩れ落ちた。
 柔らかい枕に顔を埋め、黙り込んだ二人の間に、無音が寝そべる。
 ふふふっと笑う朋絵の声に、天井を眺めたままの夏月は動かない。
「夏月。マジやばいよね」
 ムクリと上半身を擡げた朋絵は、反応のない夏月を見た。
「何が見えてたの?」
 夏月は徐に寝返りをうつ。朋絵がいない方向に身体を向けた。
「……分かんない」
「分かんないって、でも、何か見えてたんだよね。光? 何か光ってるって言ってなかった?」
「——うん」
「どんなだったの?」
「——なんか、青白い光。淡くボヤっとした、ボールみたいに丸い光……」
「それって、やっぱり、人魂とか? 夏月って視える系の人だったの?」
 夏月は赤茶けた髪を揺らし、頭を振る。
「分かんないよ。マジで。今まで気づいてなかっただけかもしれないし」
「イイじゃん」
「何が?」
 笑う朋絵を睨めつける。
「新しいスキルを獲得したみたいで」
「冗談、やめてよ」
 他人事だと思って……
 夏月は頬を膨らませた。
 怒った親友に朋絵は微笑みかける。
「お腹空いたね。コンビニで何か晩ご飯を買ってこようか」
 朋絵はベッドから降り、財布を探す。
 ひとりになりたくなかった。
 ひとりになるのはなんとなく怖い。
 得体の知れないものを、意図せず見てしまうかもしれない——。
 ホテルに置いていかれたくない夏月は、慌てて飛び起きた。
「待って、朋絵。アタシも行く」
 
 女子高生ふたりが、コンビニに入って行くのを見守りながら、眼鏡をかけた青年は電話をかけていた。
「——京都に着いちゃいましたよ」
 開口一番、そう言った。
「——晴海さんは何処です?」
 細身の彼は、特徴のない姿を電柱の影に隠した。
「なんか、中学生くらいの男の子が……ええ、僕じゃ相手にならないかも」
 眼鏡の奥で困った表情をした。
「——いつ頃着きます?」
 腕時計を見て、頭を掻いた。
「わかりました。でも、なる早でお願いしますね」
 電話を切った青年は、両手を膝につき、身体をくの字に曲げて溜息を吐いた。
 自分には、荷が重い——。
 重圧が青年を襲っていた。