来た道を戻り、学校に辿り着く。
 文化祭の準備が着々と進んでいた。
 とりあえず、大崎に取り憑いていた二体の霊は、現場に置いてきたので、大崎がまた近寄らない限り、大丈夫なはずだ。
 大崎はすぐに体調を取り戻し、ベッドから出てきた。今までになったことのない体調不良に首を傾げる。
「貧血じゃないかな。ジャンクなのばっかり食べてないで、バランスの良い食事を摂りなさいよ」
 麻生が母親のように言った。
 大崎の無事を確認し、夏月と朋絵は美術部に戻ろうとする。大崎は大事を取って家に帰るようだ。西館のエントランスの下駄箱で大崎と別れた。
 夏月は、ふと気になって保健室に戻ることにした。朋絵に先に部室に行ってもらい、夏月は廊下を引き返す。
 保健室の扉を開けると——そこには誰もいなかった。
 先程まで、麻生がいたはずなのに——。
 もう何処かに行ってしまったのだろうか。
 釈然としない思いが襲う。
 仕方なく、朋絵の後を追うことにした。
 
 麻生は研究室に戻った。
 養護教諭になる前、大学のこの研究室で細胞の寿命について研究をしていた。研究の引き継ぎは終えているが、週一回ほど元同僚を訪ねていた。
 研究室のドアを開け、麻生が中に入ると元同僚の津田が端末に向かっていた。
「——長かったな」
 トイレにでも行っていたと思っているのか、津田が声をかけてくる。
「高校の方から連絡があって、ちょっと対応してた」
「ふーん」
 津田は興味なさそうに言う。
「それにしても、ホント何で養護教諭? 大学通い直すって言い出した時は、頭がおかしくなったのかと思ったし。お前はずっと研究を続けて、教授にでもなると思ってたのに」
 残念そうに言う。
 麻生は目を伏せ、微笑んだ。
「ありがとう。でも楽しいよ」
「子ども好きだったっけ?」
「いや、別に……」
「給料だってそんなに高くないんだろ。まぁ此処も、助手や助教授止まりじゃ高くないけど」
 津田は眼鏡のフレームを上げて愚痴る。
「金が欲しけりゃ開業医にでもなるよ。そういう欲はない」
 麻生が伏目がちに応えた。
「——だな。金銭欲求、名誉欲求、権力欲求、自己顕示欲求……あと、性的欲求もお前にはない」
 十年来の親友に言われ、麻生は爆笑する。
「あはっ、その通り」
「どんな美人が来ても、そっけないもんな。本気で男好きかと考えたことがあるよ」
「失礼な。津田を襲った覚えはないよ」
「おいおい、他なら襲ったことがあるみたいなことを言うなよ」
 たわいもない会話を続ける。
 大概の人は、麻生の容姿を求めて特別な対応をしてくる。だが、津田は昔から自分を特別扱いしてこない。
 麻生にはそれがとても心地よかった。
 その津田が人のモノになる。
「結婚式、いつだっけ?」
「秋だよ。また決まったら招待状送る」
「そうか。お前があの亜佑美と結婚するとはね……」
「ああ、お前があっさりフったあの[#「あの」に傍点]亜佑美と結婚するよ」
 津田が嫌味のように言った。
「じゃあ、フって良かっただろ。結婚できたんだし。俺が中途半端に手を出すより全然良いじゃないか」
 確かに——と津田は納得する。
 少しだけ手伝って、麻生は研究所を後にした。
 
 外に出ると、既に空は暮れていた。
 赤い650ccの単車に跨る。
 夜の帳が下りた東京の街を、麻生はバイクで駆け抜けた。
 品川駅まで戻り、昼間、夏月たちと見に行った路地裏の更地を覗く。
 黄色い規制線の手前に来て、麻生は渋い顔をした。
 ——気配を全く感じない。
 そこに三年の女子生徒や、若い女性、店長の姿は無くなっていた。
 
 文化祭が始まった。
 学園生活で一番か二番にくるくらいの、楽しい行事だ。
 夏月は朋絵と待ち合わせをして、各教室を回る。普段は見られない浮かれムードが、学校全体に広がっていた。
 クレープを食べながら、二年の教室を順番に回る。男子が悪ふざけしている、大きな声が聞こえた。
 八組からヒューという声と、囃し立てる手拍子が聞こえてきた。
 確かあのクラスは、仮装サービスをしていたはず。着替えとメイクを女子が受け持ち、男子が女子の制服を着て店員を務めている。
 誰かと思えば、スカートを履いた大崎が廊下で調子に乗って騒いでる。
 その後ろを、セーラー服を着た優弥が出てきた。ピンクのツインテールのウィッグを被っている。流石にスクリーン俳優だ。大崎がクソに見えるほど格段に似合っているので、下手な女子よりも可愛いく見える。
 さらに後ろから誰かが出てくる。
 純白のウェディングドレス姿が、ゆっくりと現れた。
 息を呑むほど美しい。
 切れ長の目を流す。
 傾国の美人——という言葉がピッタリだと夏月は思った。
 麻生の堂々としたウェディングドレス姿がそこにあった。
 
 夏月たちと目が合い、麻生は目を逸らした。流石に恥ずかしそうだった。
 優弥と大崎が夏月たちに気づき、手を振ってくる。
「——どう?」
 ツインテールを振り回し、優弥が聞いた。
「可愛い。めっちゃ可愛い」
「俺はー?」
 大崎の問いに
「ブッサイクだなぁ」
 と、朋絵が遠慮なしに答えた。
 そのやり取りを横に、夏月は口を押さえて、惚けてしまう。
 結い上げた髪の後れ髪と、落ち着いた色の紅をさした唇が、セクシーだ。純白のレースが、氷肌玉骨の麻生の肌を、美しく見せている。
 マジマジと遠慮なく見る夏月の視線から逃れるように、麻生は顔を逸らす。
「よし、焼き鳥焼きに行くぞ」
 優弥が声を上げた。
「その格好で?」
「もちろん。売り上げ爆上がりなはず!」
「麻生先生は?」
「客寄せパンダに決まってるじゃん」
 夏月の問いに優弥が明快に答えた。
「はい、晴海ちゃん行くよ」
 と言って麻生を連れて行く。
 夏月は呆気にとられて見送った。
 客寄せパンダの効果は絶大だった。
 麻生が店前で座っているだけで、焼き鳥が飛ぶように売れた。
 優弥と麻生の写真を撮りたい女子が、店前に長蛇の列を作る。生徒だけではなく、教師たちも楽しんで並んでいた。
 
 大盛況の文化祭が終わって、二週間ほどが経った。天気予報は梅雨入り宣言をしたが、今年は雨が少ない。ぼちぼち、期末テストの勉強をし始めなければならなくなる時期になってきていた。
 そんな中、品川区の空き家で、放火事件が発生したというニュースが、小さく報じられた。
 空き家なのでその時の死傷者はいなかったが、一週間後、その現場で、幼い男の子の死体が発見された。
「なんか、この前の事件に似てるな」
 放課後の保健室——。
 スマホを持った優弥が、Yahoo!ニュースを眺めながら言う。
「この前の事件って?」
「ホラ、品川駅付近であった、光輝が野次馬してたヤツ」
「あー」と、大崎……光輝は頷く。
 アレだけ学校中で騒ぎになっていたのに、ひと月も経てば口の端にも上がらなくなっていた。
 人の噂とはそんなものか。
 知らずとは言え、大変な目に合っていた光輝でさえ、忘れかけようとしている。
「見に行っちゃダメだよ光輝」
「そんなところばっかり行ってたら、ホントに取り憑かれるからね」
 朋絵と夏月が言った。
 ふたりの言葉に光輝は目を白黒させた。
 文化祭が終わった頃から、夏月と朋絵、優弥と光輝の四人は、放課後、保健室で過ごすことが増えていた。美術部の活動は週三回だし、バスケ部もバレー部と交互に体育館を使っているので、部活休みの日が、比較的被っていた。
 仲良くなるにつれて、下の名前で呼ぶことが増えてきている。
「もうすぐ期末テストだけど、誰か俺に数学を教えてくれないかな」
 光輝が何気なく言い、他の三人が嫌そうな顔をした。
「俺にできると思うか?」
「同じく、アタシ達もね……」
 会話に入ってこない麻生に、光輝は目を向けた。パソコン作業を黙々としている。絶対に聞こえていたはずだが、無視された。