スタッフに呼ばれ、元用務員室を優弥は出て行った。撮影が再開するらしい。
 残された五人は思案していた。
「どう思う? アレ」
 坂田の問いかけに、渡邊が首を捻った。
「明らかに態度が変わったな。夏月さん達が来るまでとは違う」
 渡邊の意見に、佐伯が頷く。
「なんでしょうね。何か焦ってるみたいな」
「優弥くんも、分からないんじゃないですか? 戸惑ってるみたいだったし」
 夏月は言って、なんだか悲しくなった。思いあたる節は何ひとつなかったが、自分の所為のような気がした。
 もしかしたら、夏月の霊感が強いことが影響しているのかもしれない。
「アタシ、なんか嫌なことしちゃったかな。怒ってる感じもしたし……」
 ポンッと誰かが肩を叩いた。
 振り向くと、生優弥に固まっていた朋絵だった。彼がいなくなったので、緊張がほぐれたようだった。
「疲れてるんじゃない? 優弥くん。昨日怪我してるし、拝み屋さんに頼まないといけないようなことが、身の回りで起こってるんでしょ?」
「そうだね……」と、夏月は頷く。
 夏月も春休みからそうだったように、彼も不安なのかもしれない。
「優弥くんに、何があったんですか?」
 渡邊がその質問に答えようとした時、外が騒がしくなった。
 
 現場に駆けつけると、優弥は教室の隅に座っていた。床に大きな照明とカメラが転がっている。激しく損傷していた。
 渡邊にマネージャーが近寄る。
 詳細を聞き終え、渡邊は廊下で待っていた夏月たちの元に戻ってきた。
 撮影の為に教室に入り、優弥が椅子に座った途端、照明器具から突然、破裂音が鳴り響いたようだ。煙を出して照明が床に倒れ、それに驚いたスタッフが、カメラの三脚にぶつかって倒れたらしい。
「パンッと破裂するような音の後、煙を出して照明が勝手に倒れたらしいです」
 渡邊が説明した。
「優弥くんは?」
 怪我しなかったか、夏月は訊きたかった。
「今回は大丈夫だったみたいです。カメラを倒したスタッフが、怪我したみたいですけど」
 そのスタッフには悪いが、夏月と朋絵は胸を撫で下ろした。
「それにしても、やはり奇妙ですね」
 佐伯が解せない顔で言った。
「何が?」
 夏月が問いかける。
「これだけのことを起こすのに、霊の気配を全く感じなかったんですよ。何でだろう?」
 佐伯の言うことが分からず、見つめ返す。
「夏月さん、ここに来て嫌な霊を見たことありますか?」
「い、いいえ。チョロチョロと可愛いのは見かけますけど、怖いのは見てません」
 佐伯は頷く。
「そう、それです。だいたい、大それたことを起こすのは、嫌な怖い霊です。それをここまで感じないのに、何故このようなことが起こるのか。それが意味することは」
 佐伯は顎に手を当て、思案した。
「俺らの守備外の仕事の可能性もあるな」
 坂田が小声で言う。
「守備外って?」
 朋絵が訊いた。
「生きてる人間が仕掛けを使って、優弥を嵌めようとする。そういう現実的な犯罪やったら、拝み屋じゃなくて、探偵でも雇わなあかんやろ」
 なるほどと、夏月は納得した。
「じゃあ、佐伯さんも坂田君も、霊の仕業じゃないと思うの?」
「難しいな。今のところそうやないという証拠もないし」
「やはり奇妙と言うしか……」
 佐伯が言いかけたところに、渡邊が口を挟む。
「本人自身が、起こしてる事象という可能性もありますしね」
「本人が、ですか?」
 驚いて佐伯が口を開きかけた時、優弥が教室から出てきた。鋭い目つきで睨んでくる。
「アンタら、霊能者なんだろ。だったら、さっさと除霊しろよ」
 イラついた表情で、突っかかってきた。
「すみませんね。除霊するにも相手が分からないと出来ないんですよ」
 渡邊が物腰柔らかく説明する。
 優弥は舌打ちして立ち去った。
 
 撮影が中断したので、優弥はキャンピングカーへと戻った。
 誰もそばにいて欲しくない。
 ひとりで過ごしたい。
 マネージャーには遠慮してもらい、鍵を掛けて閉じ籠った。
 どうして、こんなにイラついているのだろう……。
 あの娘を見てると、焦燥感が増幅する。
 何故なんだ。
 備え付けのベッドで横になる。
 毎日、予期せぬことが起こるので、心が酷く疲れていた。
 
 
 ずっと闇の中を彷徨っている。
 暗く出口が一向に見えない。
 それもそうだ。
 出口を固く閉ざしたのは、自分自身だ。
 あの少年に会いたい——。
 いや、嫌われるから会いたくない。
 見つけて欲しい。
 ここにいるから見つけて欲しい。
 いや、見つけないで欲しい。
 もう辛いのは御免だ。
 嫌なんだ。
 嫌なんだ。
 嫌なんだ。
 嫌なんだ。
 ——寂しい。
 でも辛い。
 どうしたらいい。
 苦しい。
 見つけて。
 ここにいるから、見つけて欲しい。
 そして、
 お願い。
 そばにいて欲しい。
 
 
 ガチャガチャン——!
 陶器が床に叩きつけられる音で目覚めた。
 いつの間にか眠っていたようだ。
 優弥は驚いて飛び起きる。
 辺りを見回すと、キャンピングカーの中は、眠る前と光景がかなり変わり果てていた。
 遮光のためのカーテンが千切れており、天井付近の吊り棚の扉が傾いている。床にはコーヒーカップが砕けていた。
「うわっ‼︎」
 と、思わず叫び声を上げた。
 何故こんなことが起こるのか——。
 全身汗だくの身体を抱きしめ、縮こまった。
 キャンピングカーの鍵を開ける音がした。
 マネージャーが叫び声を聞きつけ、中に乗り込んで来る。
「優弥くん?」
 車内の惨状に驚き、駆け寄る。小さく身体を丸めた優弥の背中を揺さぶり、怪我をしていないか確認すると、すぐに車内を飛び出して行った。
 
 五分ほどでマネージャーは霊能者を引き連れて戻ってきた。今更、連れてきても遅いのに……と、優弥は思う。
 ズタボロになった車内の惨状に、霊能者たちは口々に何かを言っている。マネージャーに腕を引かれ、車外に連れ出された。
 山間部の夜は早い。太陽は高い山の影に隠れ、すでに夕闇が迫っていた。眠っていたのは少しの間だと思ったが、三、四時間は眠ってしまっていたようだ。
 車外に連れ出され、おそらく先ほどまでマネージャーが座っていただろう、折り畳み椅子に座らされる。
 近くにマネージャーとあの娘、背の高い青年の霊能者が立っている。
 あの娘が、優弥の顔を心配して覗き込んできた。視線と視線がぶつかり合う。
 ジッと見てくる視線から逃れようとした時に、ふと、優弥は気がついた。
「右の眼と左の眼の色が違う」
 その言葉に夏月は驚いた。
「よく解ったね。ジッと見ないと見分けられないんだけど」
「右は普通の黒目だけど、左は金色みたいだ」
 夏月は気づいてもらえたことが嬉しく、はにかんだ。
 その表情に見覚えがある。
 やはり彼女とは、
 何処かで会ったことがある。
 身体の奥底から、衝動が湧き起こった。
 どうにかしてしまいたい。
 どうにかなってしまう。
 優弥は震える身体を抑えるように、
 右腕を左手で押さえた。
 衝動を抑えきれずに、
 身体の奥底から何かが爆発した。
 彼女の色違いの両眼が見開く。
 ——ドスッ。
 鈍い音がした。
 優弥と夏月の間に、
 何者かが入り込んできた。
 優弥の腹部に激痛が走る。
 腹を抱え、身体をくの字に折り曲げる。
 目の前に突然、男の人の背中が現れた。
 何が起こったのか解らず、
 夏月は驚いた。
 苦しむ優弥は、前に屈みながら、
 上目遣いで腹を殴ったヤツの顔を睨み、
 確認した。
「——⁉︎」
 あの少年だ。
 豪雨の中で深緑色の傘を差し出した、あの美しい少年——が、成長したそのままの姿で、優弥の前に現れた。
 ——そう思った。
「スエタケ……」
 絞り出すように言う。
 長髪の秀麗な男は、後ろに控えているはずの青年に、声を上げた。
「仁くん、河原さんを連れて、距離を取って‼︎」
「晴海さんっ? いつの間にっ⁉︎ 解りました。夏月さん下がって!」
 弾かれたように、夏月の手を引き、佐伯は後ろに下がる。
 その行動が、優弥を苛立たせた。
 ——何でそっちを守るの?
 身体の奥底から【力】が湧き上がる。
「わぁっ——‼︎」
 叫び声とともに、何かが熱く震え、身体から溢れ出した。
「ヤバいな」
 坂田は本能的に走り出す。
 麻生は身構え、優弥の【力】を防いだ。
 バリバリッと、四方に稲妻が走るのが見える。
 坂田はそれを避けるように、スライディングし、優弥の後ろに回り込む。素早く羽交締めした。
「——ああぁあぁあっ」
 雄叫びを上げる。
 暴れて振り解こうとしたが、優弥の身体はピクリとも動かなかった。坂田のほうが体格的には小さいが、力で抑えられているようだった。
 優弥が振り解くのを諦め、次第に身体の力を抜く。
 ダランと前屈みになる。
 虚ろな瞳で麻生を見た。
「どうして、守ってくれないんだ?」
 麻生は返答に迷った。
 優弥から目を逸らす。
 その表情がいじらしく、愛おしく思える。
 妖華のような彼の横顔を見つめ、
 優弥は意地悪く、
 その禁句を言った。
「そばにいて欲しいんだ、ずっとお前に」