激しい雨が降っている。
 冬の雨の中、傘もささずに中年男は立ち尽くしていた。
 肩で息をする。
 口端から呼気が白く溢れる。       目の前に現れた見目麗しい少年に、何故か苛立ちと焦燥を感じていた。
 綺麗に整った眉を顰めて、深緑色の傘をさした少年は困った顔をしている。
 何か言わなければならない——。
 そう焦るが、何を言えば良いのか分からない。この少年を知っているが、初めて会ったはずである。
 ——何を考えているのだろう。
 感情が、グチャグチャに掻き回される。
 自分はおかしくなってしまったのか。
 スーツ姿で雨に打たれる男は、少年に目を合わせぬよう横を向き——俯いた。
 雨がこめかみから頬を伝って流れ落ちる。
 少年が近づいてくる。
 男の手を取り、傘を渡した。
 驚き顔を上げ、少年の美しい姿を間近で見てしまう。
 衝動が押さえ切れなくなった——。
 傘を手放し、ずぶ濡れの両腕で少年を抱きしめた。
「————っ!」
 涙が溢れる。
 雨音で男の叫び声がかき消えた。
 
 
 はぁ、はぁ、はぁ——。
 また、夢を見た。
 ——同じ夢だ。
 夢は二種類あり、ここ数ヶ月、ふたつの夢に苦しめられている。
 何故、いつもこのふたつの夢を見るのだろうか。
 優弥は見慣れない天井を眺めながら、涙を流した。もう、苦しい。
「優弥くん、目覚めた?」
 近くに控えていたマネージャーが声をかけてくる。
「うなされてたけど……」
 覗き込んでくるマネージャーに対し、優弥は両腕で顔を隠した。泣き顔を見られたくない。
「俺、どうしてここで寝てるんです?」
「覚えてない?」
 と、尋ね返してくる。
 おそらく、移動用に使っているキャンピングカーに寝かされている。そう言えば、撮影現場の小学校で、休憩が明けたので監督に近寄ろうとして……。
「蛍光灯が割れた」
「そう。破片が落ちてきたあと、蛍光灯の傘の部分も落ちてきたの」
 ——思い出す。そうだ、後頭部に痛みを感じて……気を失ったのか。
 顔から右手を外し、後頭部を触る。包帯が巻かれているのが分かった。
「イタっ……」
 鋭い痛みが走った。
「優弥くん、例の人たちに会いませんか? やっぱり変ですよ。突然、蛍光灯が割れるなんて」
 マネージャーが心配そうな顔をしている。
「外に、来てもらってるんですけど……」
 優弥はゆっくり起き上がった。
 自分は呪われているのだろうか。
 たまたま今回のようなことが、続いているだけかもしれない。夢も最初に見たものが、脳に擦り込まれて、何度も見ているだけかもしれない。
 逡巡し、優弥は頷く。
「わかりました。会ってみます」
 マネージャーは優弥の言葉に頷いた。
「じゃあ、呼んできますね」
 彼女は踵を返してキャンピングカーを出て行った。
 
 スーツを着た男と、中学生くらいの少年を連れてマネージャーが戻ってきた。
 男はベッド端に座る包帯姿の優弥を見て、目を細めた。
「こんばんは。すみません、こんな所まできていただいて。岡本優弥です」
 無表情の優弥は立ち上がり、頭を下げて挨拶をした。
「いえ、初めまして、渡邊憲綱と申します」
 男は名刺を差し出した。
 優弥はそれを受け取り、じっと眺める。
 何処かで聞いたことがある名前のような気がしたが、気の所為だろうか。
 ——思い出せない。
 何処にでも、ありそうな氏名だし……優弥は記憶を手繰るのを諦めた。
「どうぞ、座ってください」
 手前の椅子を勧める。
「大変でしたね。お怪我は大丈夫ですか?」
 渡邊は腰掛けながら、体調を気遣う。
「どうでしょう。ズキズキ痛みますし。先ほどまで気絶してたんで、出来れば、手っ取り早くお願いしたいです」
「わかりました」
 渡邊は頷いた。
「最近、身の回りで起こったことを教えて下さい」
 優弥はこの数ヶ月の間に起こった出来事を語った。
 
 キャンピングカーを出て、少年は渡邊の顔を見た。
「どう思う?」
 自分の意見を先に言わずに、人に先に言わせるのは、昔からの癖だな——と少年に対して思った。が、質問の主旨とはズレているので、渡邊は口に出さない。
 岡本優弥に関する感想を述べる。
「彼からは【鬼】の【気】は感じられなかった。呪われているのかどうか分からない」
 自分の答えと合っていたのか、少年は小さく頷いた。
「どうする?」
「現場を見ないと分からないな。蛍光灯が落ちてきたという場所を見に行くか」
 渡邊は校舎へと歩き出す。中ではスタッフが明日の撮影の準備をしていた。
 多くの人が行き交い、忙しそうにしている。渡邊たちに気を留める者はいなかった。
 その場所は、もう綺麗に片付けられていた。落ちた蛍光灯の傘も、美術スタッフによって元に戻されたようだ。
 何の気配もない。手がかりが掴めない。
「渡邊さん」
 振り向くと、岡本優弥のマネージャーが立っていた。
「優弥くんが、飯田のホテルに戻ります。一緒に来ていただけますか」
「わかりました」
 渡邊と少年はその場から離れた。
 
 五月四日——朝九時半。
 飯田駅前から普段は乗合バスが出ているが、映画の撮影があるため、エキストラ用に数台大型バスが用意されていた。
 エキストラ用のバスに夏月と朋絵は乗り、遠慮した佐伯は乗合バスの方に乗った。
 乗合バスは定刻通りに出発し、それを追いかけるように、エキストラのバスが走り出した。
 車内は高校生が、さながら修学旅行にでも出かけているかのように賑わっている。
 何処からか悲鳴が上がった。
 何事だろうと思ったが、すぐに悲鳴の理由が分かった。
 Yahoo!ニュースという単語が聞こえ始める。朋絵はすぐにスマホで検索し始めた。
「——コレだ」
 Yahoo!ニュースのエンタメ欄に、岡本優弥の記事が載っていた。
『岡本優弥 撮影中に怪我!』というタイトルがページトップに載っている。
「昨日、撮影中に蛍光灯が落ちてきて、後頭部を怪我したんだって、大丈夫かな」
 記事を読んだ朋絵が心配そうにしている。
 何処からか、撮影中止になったりしないかなぁ……という、不安の声が漏れてきた。
 バスは一時間半ほど走って、廃校の小学校に辿り着いた。小学校横の道路に停まる。
 高校生エキストラは男女に分けられ、教室で映画用の制服に着替えさせられた。
 それぞれスタッフがエキストラを教室に配置し、昼休みの教室の設定で、過ごすように指示を受けた。
 
「そこ怪我してんのに、撮影しても大丈夫なん?」
 渡邊の助手らしい少年に声をかけられる。歳の近さもあるが、関西弁が距離を縮めるツールになっているように優弥は感じた。
「大丈夫。メイクさんが怪我してるのわからないように上手くやってくれるよ」
 優弥は苦笑しながら答えた。
 ホテルから撮影場所までキャンピングカーで移動する。急な坂道を上り始めた。
「へぇー、そういうもんなんや」
「それよりも、俺に憑いてる霊とかいるのかな?」
 さぁ、と少年は首を傾げた。
「おいおい、事務所の社長が優秀な霊能力者だっていう触れ込みで連れてきたんだと思ったんだけど」
 胡散臭そうに少年を見た。
「信じる、信じへんは勝手やで。嫌なんやったらテレビに出てるような霊能者に見て貰えばええやん。番組でやったら視聴率取れてええやろ」
 少年が嘯くように言う。
 コイツは自分の仕事をする気があるんだろうか——疑いたくなる。
 まぁ、それでも、テレビに出ているような霊能者を信じることが出来なくて、社長に探してもらったのだ。
 もう少し様子を見るか、と優弥は思った。
 
 キャンピングカーを下りて小学校の校庭に入ると、校舎から黄色い声が届いた。
 エキストラで集まった高校生たちが、教室から声援とともに手を振っている。
 優弥は笑顔で手を振り返し、各方向に頭を下げた。
 再度、各教室に向かって手を振り、校舎の中へと向かう。礼儀正しい姿を見せた。
「優弥くーん、こっち向いてー」
 朋絵が夢中で叫んでいる横で、夏月は驚愕した。
 岡本優弥が降りたキャンピングカーから、見知った人達が出て来たからだ。
 優弥だけを見ている、朋絵は気づかない。
 夏月は手を振っている朋絵の腕を掴んだ。
 何事かと思い、朋絵は夏月を見る。
「どうしたの?」
 顔色が青白くなっている。
 夏月は優弥とは違う方向を、震えながら指した。
 朋絵も目を丸めて仰天した。