三月二十七日——。
 ホテルをチェックアウトし、そそくさと駅へと向かう。誰も何も付いてきてないか、辺りを窺いながら、女子高校生のふたりは足早に歩いた。
 大阪駅から環状線に乗って天王寺駅へ。混雑する駅構内を描き分けるように歩き、近鉄電車に乗って目当ての大学へと向かう。
 大阪の郊外にある為、キャンパスは広大で、学舎が多く建っていた。目当ての学部を歩いて回る。
「——あった。お城だ」
「ホントだ。大学の中にお城があるってスゴイよね」
「お金持ちの大学って気がする——」
 あはははっ、と夏月と朋絵は笑った。
 四時間ほどオープンキャンパスを楽しみ、最寄り駅へと戻った。
「——今から順調に帰れれば、真夜中に東京に帰れるよ」
「また、九時間くらい?」
「だねぇ。何処かで食料買い込まなきゃ」
「なんか寂しい気がするなぁ……」
 夏月が唇を尖らした。
「色々あったけど、いや、色々ありすぎて思い出に残る旅だったね」
「ホント。あ、でも待って。おウチに帰るまでが遠足……じゃなくって、旅行だから。ここで終わりじゃないよ」
 うふふふふっと笑い合う。
「だねぇ。小学校の先生が言ってた」
「気を抜いちゃダメ。あと九時間はあるから、最後まで何が起こるか分からないよ」
 朋絵は真顔で詰め寄った。
「もう、朋絵脅かさないで。これ以上何か起きるなんて想像したくもないから」
 頬を膨らました夏月に、朋絵は笑顔を見せた。
 
 朝、乗ってきた電車で大阪駅まで戻る。
 大阪駅の構内にあるコンビニで、おにぎりやサンドウィッチ、お菓子類を買って、帰り道の食料を確保した。
 十五時半発の新快速に乗り込む。車内は買い物帰りや旅行客で、それなりに混んでおり、座ることが出来なかった。
 郊外に列車が進むにつれ、少しずつ乗客が減っていく。京都駅に着くと人が沢山降りたので、夏月と朋絵は、ふたり掛けシートに座ることが出来た。
 コンビニで買ったおにぎりをムシャムシャ頬張っていると、後ろから来た客が、ふたりの横で立ち止まった。前のシートの背もたれを動かし、無言でボックスシートにしてしまう。
 唖然として、夏月と朋絵のふたりはその無礼な客を見た。憮然とした態度の青年が、ふたりの目の前に座る。
 眼鏡をかけたその顔に驚き、夏月は青ざめ、朋絵はおにぎりを落としそうになる。
「——‼︎ 佐伯さん⁉︎」
 夏月の素っ頓狂な声に、佐伯は静かにするよう唇に人差し指を押し当てた。
「シーッ……」
「……なんで?」
 ここにいるのか訊きたかったが、言葉が続かなかった。
「えーっと、東京に無事帰すことが、僕の仕事だって言いませんでしたっけ」
「確かに……でも、私もう何でもありませんよ……」
「そうでもないらしいですよ。あくまでも応急処置らしいです。昨日、素直に帰って下さってたら良かったのに……」
 咎めるように言った。
「ごめん、なさい……」
 佐伯と約束した訳ではないが、夏月と朋絵は条件反射的に頭を下げた。
「オーキャンは楽しかったですか?」
「——はい」
「そうですか。良かったです。大事な進路ですもんね。わざわざ遠いところまで来たんだから、ちゃんと見て帰れたなら、結構です」
 佐伯は表情なくふたりを見た。
「と言うことで、すみませんけど、東京まで同行させていただきます」
 有無を言わせない、低い声で告げた。
「……昨日は突然、何処かに消えちゃったじゃないですか」
 少し茶化すように朋絵がった。
「——ですから、あのまま帰ってくれてたら、もう会わずに済んだんですけど」
 咎めるように再度佐伯が言った。
「すみません……」
 バツが悪そうに朋絵は肩を竦める。
「朋絵が悪いんじゃないんです。アタシが、唆したから……ごめんなさい。それより、あの後、佐伯さん何処に行ってたんですか?」
 夏月が朋絵を庇うように言った。
「何処に? 別に……眼鏡を買い替えて、家に帰りましたよ」
 怪訝そうに佐伯は答えた。
「誰かに会ってませんでしたか?」
「——誰か?」
「晴海ちゃんに会ってなかったか、訊いてるの——」
 すかさず、朋絵は確信をつくようなことを言った。
「——ハルミちゃん……あぁ、晴海さん。えっ? よくご存知で」
「坂田君が、なんかグルだって言ってたけど、ホントですか? 晴海ちゃんと、どういう関係なんですか?」
 今度は怯むことなく朋絵は問い詰める。
 佐伯は女子高生の詰問に目を泳がせた。
「どういうって……だから、雇用主とアルバイトで」
「えっ? じゃあ、晴海ちゃんってホントに拝み屋さんなの?」
 朋絵は両手で口を塞いで驚いた。
「逆に、拝み屋さん以外の晴海さんを僕は知らないんですよね。貴女たちとはどういう関係なんですか?」
 佐伯に質問返しをされた。
「学校の保健室の先生」
 ふたりの返答に、佐伯は目を丸くした。
「へぇー、意外ですね。あの容姿だし、モデルさんでもしてそうなのに」
「ですよね。学校で浮いてますけど、生徒にはモテモテです」
「でしょうね。僕なら絶対、保健室に入り浸るな」
 真面目そうなのに、力を込めて言った意外な佐伯の言葉に、ふたりは笑う。
「実際、そういうヤツいますよ。ただ、すぐに追い出されてますけど」
 朋絵の言葉に、佐伯は頭を掻いた。
 和んだムードが少し漂い始める。
 陽が傾き始めた頃、米原駅に到着した。
 
 米原で電車を乗り換え、豊橋、浜松、静岡……と、乗り継いだ。
 佐伯が現れた時には、驚き、何か恐ろしいことが起こるのではないかと身構えたが、車内はここまで、至って平穏だった。朋絵も疲れたのか、夏月の肩を借りて眠っている。佐伯も遠慮して、小型のパソコンで黙々と入力作業をしていた。
 欠伸をして、夏月は車窓を眺めた。
 空はとっぷりと暮れ、墨汁を垂らしたような景色が右から左へと流れていく。暗がりにポツポツと、寂しそうに街灯が見えた。
 ぼーっと眺めていると、何かを目の端に捉えた。何だろう……と思い、遠くのソレを凝視した。白い点のような光が、数十個、ウニョウニョと宙を動いている。
 畑の真ん中。
 お墓か……と、思った瞬間、
 墨色の世界が突如、閉ざされた。
 トンネルにでも入ったのかと思った。
 ——でも、何かが違う。
 真に黒い世界——
 窓の外は、電車の中から漏れる明かりでさえも、飲み込んでしまったかのような闇だ。
 違和感があるのに、
 違和感の正体が掴めない。
 頭上の電気が、パチパチパチと数回点滅した。驚いて夏月は顔を上げた。車内を見回す。夏月たちの他に客はいない。いつの間にか降りたようだ。
 パタン——と、ノートパソコンを閉じる音がして、佐伯の顔を見た。
 真面目そうな眼鏡顔が、更に引き締まっている。
「——佐伯さん?」
 何か悪いことが起こりそうな予感。
 助けを求めるように佐伯を見つめる。
「シーッ。彼女には寝ててもらいましょう。貴女はそこから決して動かないで」
 唇に指を押し当て、佐伯が立ち上がった。
 ——その時。
 車内の電気が一斉に消えた。
 暗闇が生まれる。
 何も見えない……
 恐怖が夏月を襲う。
 ふっと、目の前に明かりが灯った。
 佐伯がノートパソコンを再び開けたので、その光が漏れてきたのだ。
 夏月も手に持っていたスマホの明かりを点けた。辺りがボヤッと見え始める。
 不思議と静かな空間だった。
 先ほどまで聞こえていたはずの、線路を走る電車の音でさえ、今は聞こえない。
 朋絵の寝息だけが、一定のリズムで耳に届いた。
 暗闇に目が慣れてきた。
 目の前に立っている長身の佐伯を見上げると、真剣な眼差しの佐伯は少し先の虚空を、身動きせずに凝視していた。
 夏月たちがいるシートの三つほど前。
 背もたれの上に、闇が渦を巻いていた。
 ブラックホールの様に光をも飲み込みそうな、暗い暗い深い闇。
 そこから、細い枝のようなものが、ズズズズズッ——と生えてきた。
 鼠色の禍々しい……。
 枝は伸びてくるほど太くなる。
 枝の先は五本に分かれており、
 人の手の様だ。
 彷徨うように五本の指が左右に動く。
 見た事もない恐ろしい光景に、目も離せず、言葉も出ない。夏月は金縛りにあったかのように硬直していた。
 ズルッ——と、闇から塊が出てきた。べっとりと湿った繊維が絡み付いているバレーボールくらいの塊。
 頭——と思った瞬間、それはコチラを向いた。大きな黒目が夏月を睨む。
 ——ヒャッ。
 声にならない声が漏れた。
 小さな鼠色の身体を闇から引きずり出し、ソレは飛びかかってきた。