「お待ちください、すずお嬢様……!」
「いーや、待たないっ」
毎日毎日、お稽古事ばっかり。
わたしの気持ちなんて微塵も考えていないくせに、冗談じゃないわっ!!
追いかけてくる使用人の貴船の声を後ろに聞きながら、足を止めることなく走る。
いくら社長令嬢といえど、年齢は16歳。
世間一般でいう"女子高生"の脚力、なめないでよね!
「旦那様に怒られてしまいます……!」
「お稽古事なんてやめてやるんだからっ」
貴船の声を聞きながらスタコラさっさと逃げた先。
黒いスーツ姿の人物がわたしを捕らえた。
「捕まえましたよ、お嬢様」
途端に爽やかな柑橘系の香りに包まれる。
そしてその香りはふんわりと桜の香りに変わった。
………だ、誰?
今わたし、抱きしめられてる?
こうしてわたしを包み込むような人物なんて知らない。
そろりと顔を上げると、透き通ったサファイアのような青い瞳と視線が絡まる。
そして、目尻が柔らかく緩み、切れ長の瞳がふっと細まった。
柔らかそうな漆黒の髪は、耳が隠れるくらいの長さで。
廊下の窓から入ってきた風で、踊るようにさらりと揺れる。
どくりと心臓が跳ねた。
まるで囚われたように、視線が吸い寄せられたまま逸らせない。
やがて後ろから追いついてきた貴船が「九重様……!」と声を洩らした。
途端にパッと身体が離され、手足が自由になる。