——今から十一年前、琳伽(りんか)は後宮へ入った。
 張氏一族の出世を助けるために、まるで献上物のように差し出された。
 前皇帝はその頃既に四十を超えて多くの妃嬪や皇子がおり、まだ年端もいかない 琳伽(りんか)は皇帝の伽に呼ばれることもなかった。

 後宮という鳥籠に閉じ込められた一羽の雀。

 孤独な雀にとっての(たの)しみは、春の訪れを告げる内院(なかにわ)の梅の花。そして、梅華殿の隣の殿舎に住まう淑美人(しゅくびじん)の皇子、逞峻(ていしゅん)と過ごす時間であった。


琳伽(りんか)、梅の花が咲いた! 早く来て!」
逞峻(ていしゅん)様、分かりました。すぐに参ります」

 梅華殿の円窓の外から、皇帝の三番目の皇子である逞峻(ていしゅん)琳伽(りんか)を呼ぶ。
 琳伽(りんか)は十五歳、逞峻(ていしゅん)は九歳。
 弟よりも年下の逞峻(ていしゅん)は、琳伽(りんか)にとっては目に入れても痛くないほどに可愛い存在であった。

「わあ、本当ですね。緋色の梅は初めて見ました」
琳伽(りんか)はここに来て初めての春だものね。私が琳伽(りんか)のために、梅の花を折ってあげよう」

 逞峻(ていしゅん)は懸命に背伸びをして梅の花に手を伸ばすが、九歳の少年には高すぎて手が届かない。琳伽(りんか)逞峻(ていしゅん)を抱き上げ、花に手が届くように高く持ち上げた。

琳伽(りんか)、届いた!」
「梅の花は折れましたか」
「ほら、ここに。琳伽(りんか)、少し身をかがめて」

 琳伽(りんか)が言われたままに少し身をかがめると、逞峻(ていしゅん)は手に持っていた梅の花を、高く結い上げた琳伽(りんか)の髪にそっと差した。

「わあ……梅の(かんざし)でございますね」
「そうだ。琳伽(りんか)、嬉しい?」
「はい、とても嬉しいです。梅の花は大好きですし、逞峻(ていしゅん)様が一生懸命取って下さいましたので」
「それでは、来年も梅の花が咲いたら、琳伽(りんか)(かんざし)を贈ろう」

 まるで春の日差しを浴びて光る水面のように、逞峻(ていしゅん)の瞳は希望に満ちて輝いていた。