テオが目を剥くのも当然だ。ビアンカは昨夜、髪をバッサリ切り落としたのである。長い髪は、貴族令嬢の証だ。肩に付かないくらいの長さにしてしまうことで、ビアンカは、料理番として生きていくことを表明したのである。もちろん、平民女性だから髪が短いというわけではなく、彼女たちだって結えるくらいの長さは持っている。それでもあえて断髪したのは、王子に取り入りたいのではないかという、あらぬ邪推を払拭するためだった。

「ビアンカ……」

 呆然としつつも、テオは何かを言おうとした。だがその時、別の声がした。

「ビアンカ嬢!?」

 深みのある低い声に、ビアンカはドキリとした。振り返れば廊下の先に、ステファノが立ち尽くしているではないか。

「その髪は……!」

 ステファノは、すごい勢いで駆け寄って来た。蒼白な顔をしている。

「ドナーティのせいか? 彼がそうしろと?」
「違います!」

 ドナーティの発言がきっかけになったのは確かだが、彼にさせられたわけではない。あくまでも、ビアンカの意志だ。

「だが、彼が余計なことを申すから、気にしたのであろう」

 ぎりっと、ステファノが歯ぎしりする。ビアンカは、驚愕した。ステファノの眼差しは、怒りに燃えていたのだ。

「ドナーティ……。女性に髪を切らせるほど思いつめさせるとは、許さぬ。降格処分だ。宮廷へも出入りを禁ずる!」
「ちょっ……、お待ちくださいまし! ドナーティ様のせいではありません!」

 ビアンカは慌ててステファノに取りすがったが、彼は耳を貸そうとしなかった。

「これは、私が決めたことだ……。ああ、チェーザリ伯爵」

 ステファノは、チラとテオを見やった。

「そなた、そういえば昨日、ビアンカ嬢に狼藉を働いておったな。ついでにそなたも、宮廷出入り禁止だ」
「はい!? 私も、でございますか!?」

 テオがすくみ上がる。何事か弁明しかける彼を無視して、ステファノは切りそろえられたビアンカの髪に触れた。切なそうに、だがどこか愛おしそうに撫でる。

「美しい黒髪が……。二度と、このような真似はいたすなよ?」
「承知、しました……」

 『美しい』というフレーズがぐるぐる回る。髪という一部分についてだとわかっていても、嬉しくて仕方なかった。

「早く伸びるとよいな」
「ええ」

 横でテオが、「髪が短くなっても僕は気にしないぞ」と必死に訴えていたが、もちろんビアンカの耳には入らなかったのだった。