(いや、エルマさん、腰痛持ちじゃなかったっけ……?)

 ほうほうの体で出て行くジョットを見送っていると、エルマはつかつかと近付いて来た。団子をゆでている鍋をのぞき込み、短く告げる。

「火が強すぎる」
「あっ、はい!」

 ビアンカは、慌てて火加減を調節した。するとエルマは、ビアンカに向かって手招きした。棚を開けて、中に入っている調味料類を指す。

「右から、塩、胡椒、砂糖だ」
「ありがとうございます!」

 少しは協力してくれる気になったのだろうか、とエルマをチラと見る。だが彼女は、相変わらずしかめっ面だった。

「無駄なもんを買いこまれちゃ困るからね。今日は、何を買ったんだ? 帳簿を見せてみ」

 すでに記入していた今日の分の家計簿を見せると、エルマはやや首をかしげた。

「豚脂は必要あったのかね? 大して栄養があるもんでもないだろ」

「そんなことはありません。豚の脂には、体を疲れにくくする効果があるそうです」

 ビアンカは、キッパリと言った。

「それに、若い方には、その方が喜んでいただけるかと思って。お食事には栄養バランスだけでなく、楽しみも必要だと思うんです」

「あたしゃ、若くないがね」

 うっと、ビアンカは詰まった。

「すみません……」

「まあいいさ。見た所、買い物の仕方も料理の手際も、思ったほどひどくはない。この調子で、まずは一週間、様子を見るよ」

「本当ですか!?」

 ビアンカは、目を輝かせた。

「ただし、一週間経って使い物にならないと思ったら、即出て行ってもらうからね。予算オーバーした分は、あんたが払うこと」

 ぶっきらぼうに言い捨てて、エルマは厨房を出て行こうとしたが、ふと振り返った。

「かれこれ二十年前だったかね。ちょうどあんたくらいの娘が、ここへ料理番としてやって来た」

 唐突な話題に、ビアンカはきょとんとした。

「うちに入寮していた若いのと恋仲になってね。一緒に、寮を飛び出して……。その若いのは、娘に唆されて、当時勢力を広げつつあった過激派組織に加わったんだ。国王陛下への謀反を企てて……、そして、最後は処刑された」

 アントニオが言っていた『とんでもないこと』というのはそれだったのか、とビアンカは唖然とした。

「さっきのジョットとの会話、聞いたよ。あんたは、取りあえずその心配はなさそうだね」

 そう言い捨てて、エルマが今度こそ厨房を出て行く。本格的に採用が決まったわけでもないのに、ビアンカは、不思議な安堵を覚えたのだった。

 その晩、ビアンカは、ようやく食堂に同席させてもらった。文句を言っていたエルマだったが、ビアンカのこしらえた豚脂入りえんどう豆のスープを、完食したのだった。