王宮へ戻ると、ビアンカは真っ先に厨房を訪れた。カブリーニ家へ帰っている間、イレーネの食事を作ってくれていた代打の料理番に、礼を述べるためである。

 厨房をのぞくと、彼はちょうと下ごしらえの真っ最中だった。

「邪魔をしてごめんなさい。一言、お礼が言いたくて。留守中、ありがとうございました……。ニコラさん」
「とんでもない! 身に余る大抜擢をしていただいたのですから、これくらい当然です」

 チェーザリ邸の元料理番・ニコラは、ビアンカに向かって、満面の笑みを浮かべた。テオが追放処分となったことで、チェーザリ伯爵邸の使用人たちは、一斉に仕事を失った。ステファノは、そんな彼らに、それぞれ奉公先を手配してくれた。そしてニコラは、何と王立騎士団の料理長に任命されたのだ。退職したジャンの後任である。

「いえ。あなたの実力なら、当然の評価よ」

 ビアンカは、力強く頷いた。

「そう言われると、何だかお恥ずかしいですが……。運動をなさる方向けの食事、ということでしたら得意なので、是非貢献させていただきたいですね。わし、兵役経験があるのですよ」

 知っているわ、とビアンカは内心思った。

「旦那様があんなことになった時は、一体どうしようかと思ったものですがねえ……。まあ、予感がしないでもなかったですが。最近、おかしな行動が目立つとは思っていたのです」

「チェーザリ伯爵が? そうだったのですか?」

 はい、とニコラは深刻に頷いた。

「一番びっくりしたのは、チェーザリ伯爵家に代々伝わる置物を、突然叩き割ったことですね。忌まわしい品だ、と仰って……。医者に診せようかと皆で言い合っていた矢先、逮捕されたのですよ」

 ビアンカは、唖然とした。自分がかつて頭をぶつけて死ぬはめになった、あの置物か。あれを、壊したというのか。それも、逮捕の直前ということは、ビアンカを脅迫して妻にしようという計画を練っていた頃だ。

(私が妻になってあの屋敷に来たら、あれを見て不快に思うと思ったのかしら……?)

 テオの行動は、いずれも許されるものではない。それでもビアンカは、少しだけ彼の誠意を感じたのだった。