その日の晩餐作りには、かつてないほどの気合いが入った。

(やっと、殿下と二人で過ごせるのね……)

 ボネッリ領の改革が、一段落したからだろう。『必ず時間を作る』という約束を、ステファノがきちんと守ってくれたことが嬉しかった。自然と、野菜を切る手つきも軽やかになる。見学に来ていた見習い料理番が、『素晴らしい包丁さばき』と、拍手喝采したくらいだった。

 イレーネの食事が終わり、後片付けと明日の仕込みを済ませると、ビアンカは大急ぎで自室へ戻った。中庭で二人で過ごすなんて、デートみたいなものだ。思いきりおめかししたいのはやまやまだが、何せ、約束の時間が迫っている。エプロンを外し、髪型を整えるので精一杯だった。メイクする時間もないので、ルージュだけ着けておしまいだ。

(まあ、油まみれのエプロン姿でプロポーズのお返事をした時よりは、マシよね)

 言い聞かせて、中庭へと向かう。人気のない夜の庭園は、静寂に満ちていた。心地良い風に吹かれながら、ビアンカは指定されたオークの木に向かって歩いた。庭園内で最も大きなその木の前には、巨大な噴水があり、普段は王族らの憩いの場所となっている。ステファノはここで、何を語らうつもりなのだろうか。

 ようやく、目的の木が見えてきた。その背後には、人影が見える。目深に帽子を被った、長身の男だった。すでに来てくれていたのか、と嬉しくなる。だが、ビアンカは少し心配になった。ステファノは、何だか痩せた気がしたのだ。連日の激務のせいだろうか。

(何か、栄養のあるメニューを考えて差し上げようかしら……)

 頭の片隅でそう考えながら、ビアンカは弾んだ声で呼びかけた。

「殿下、お待たせしましたわ」

 男が、ゆっくりとこちらを向く。目が合った途端、ビアンカは絶句した。ビアンカを見つめていたのは、愛しい漆黒の瞳ではなかったのだ。それは、冷たいアイスブルーの瞳だった。

「ジェンマは上手くやったようだな」

 口の端を上げて、テオが笑う。まさか、とビアンカは思った。あの手紙が差し入れられたのは、ジェンマがビアンカの部屋から帰った後だったが……。

「あの手紙を書いたのは、僕だ。ジェンマに命じて、君の部屋へ届けさせた。簡単に引っかかってくれたな」