「殿下……」

 ビアンカの呼びかけで、ステファノはハッと我に返った。ビアンカの声は震え、体はカチカチに硬直している。ステファノは、慌てて彼女を解放した。

(私は、何を考えていた? きちんと手順を踏もうと、あれほど心に誓ったではないか……)

 この三日間の紳士的な振る舞いを、危うく台無しにするところだった。謝り、踵を返す。レッスンは今夜で最後にしようと、心に決めていた。

(でないと、今度は何をしでかすか、自分に自信が持てぬ……)

 戸惑うビアンカの言葉を遮って、ステファノは部屋を飛び出した。廊下へ出て、目を見張る。ビアンカの妹が立っていたのだ。すぐ下の妹と言っていたか、面差しがビアンカによく似ている。

「申し訳ございません! そろそろ終わられるかと思って……。決して、立ち聞きするつもりでは……」

 妹は、うろたえている。つまりは今のやり取りを聞かれたのか、とステファノはバツが悪くなった。

「気を遣わせたな。レッスンは今宵で終わりゆえ、そなたも明日からは部屋で過ごすとよい」

 早口でそう告げて立ち去ろうとしたが、妹はなぜかステファノを引き留めてきた。

「ステファノ殿下。恐れながらお願い申し上げたいのですが、姉に、パッソーニ夫人の居所を教えて差し上げていただけませんか?」

 何、とステファノは彼女の方を振り返った。ビアンカによく似たはしばみ色の瞳が、ステファノをキッと見すえている。

「姉は、思いやりにあふれた人間です。家族や職場の人間、少しでも関わりのある人のことは、放っておけない性質なのです。たとえ異性として好きにはなれなくとも、寮生だったアントニオさんのことを案じるのは、彼女にとって当然のこと……」

「異性として好きではない?」

 ステファノは、思わず聞き返していた。妹は、静かに頷いた。

「姉は、アントニオさんから想いを告げられたことがある、と申していました。姉はその時、ひどく困った顔をしていました。愛する男性からそう言われたなら、あんな表情はいたしません」

 ステファノは、次第に冷静さを取り戻していた。確かに、自分を陥れる手先となった料理長のジャンですら、ビアンカはひどく案じていた。他人を気にかけるのは、彼女の本質なのだろう。嫉妬に狂った自分が、ステファノは急に滑稽に見えてきた。

「ダメで……ございますか? ではせめて、私にお教えいただけませんか?」

 妹は、真剣な顔でそう言い出した。

「そなたに?」
「はい、その……。私も、姉の職場にいた方として、アントニオさんのことは心配ですし……」

 妹は、赤くなっている。ははあ、とステファノはピンときた。この妹は、パッソーニに想いを寄せているのだろう。それはステファノにとって、かなり都合の良い状況であった。

 ステファノは即座に、修道院の名前と場所を告げていた。