「そうそう、騎士団寮の後任の件だがな」

 ようやく抱擁を終えた父は、ビアンカの方を向き直った。

「実は、スザンナがやってみたいと言っておるのだ」
「スザンナが!?」

 ビアンカは仰天した。そうだ、と父が頷く。

「あの子は元々、食に関心があるだろう? お前の仕事にも、前から興味津々だったのだ。だから是非、と」

 確かにスザンナは食いしん坊だが、どうも母の差し金のような気がしてならない。ビアンカは、少し考えてから、かぶりを振った。

「ボネッリ様、お父様。せっかくのお話ですが、やはりお引き受けはできませんわ」

 そんな、と二人が蒼白になる。ビアンカは、彼らの顔を見つめて告げた。

「私は料理番として、まだまだ未熟者。エルマさんの下で、引き続き精進したいと考えております。それに、あの騎士団寮で働き始めて、まだ三ヶ月も経っていないのです。そんな短期間で、仕事を放り出すような真似はしたくございません。スザンナだって、まだ十四歳。これから気が変わって、社交界デビューしたくなるかもしれませんわ。早々と、あの子の将来を決めるのはよくないと思います」

「うう……。確かに、娘三人のうち二人も、結婚より仕事を選ぶというのもなあ……」

 スザンナのことを考えて、父の気持ちは揺れ始めたようだった。おい、と伯爵が眉をひそめる。

「さっきは、話をお受けしろと言ったではないか。裏切る気か?」

「いや、そのような……。スザンナを働かせるのは止そうかと思っただけだ」

「だが、後任が決まらない限り、ビアンカ嬢は寮を去れないではないか。殿下は、それまでずっとこちらへ滞在なさるおつもりだぞ?」

 伯爵が、目をつり上げる。

「そうだ、ドメニコ。いい案があるぞ。殿下には、君の屋敷で過ごしていただくというのはどうだ?」

 あくまでもボネッリ伯爵の頭には、接待費用のことしかないようだ。父が、血相を変える。

「とんでもない。我が家に、そんな金があると思うかっ」
「何だと。元はと言えば、君のお嬢さんの問題だろうが!」

 先ほどの抱擁はどこへやら、二人は一転、醜い口喧嘩を始めたのだった。