広場に詰めかけている群衆の罵声と熱気が、じりじりと私にまで伝わってくる。夏の暑さよりずっと激しく、現実的に。
 斬首台の階段から引っ張り上げられ、裸足で小石の散乱する台の上に立った。
 グランディア王国の王都リコリスの町の広場だ。私は大観衆を前にして気が遠くなる。
 集まってきていた人々は私の死を前に、ある者は楽しげに、ある者は痛ましげな表情を浮かべていた。
 けれど、どうでも良いという空虚な気持ちになる。どうせ私は死ぬのだ。

「フィオナ。最後に何か言い残すことはあるか?」

 私の隣でそう言ったのは、かつての婚約者──王太子ラインハルトだった。
 私は渇いてひび割れた唇を動かそうとして、無駄だと感じて口を閉じる。
 私の言葉は、もはや彼には届かないだろう。

 私は前の王太子の誕生パーティで、彼に婚約破棄された。彼の傍らには子爵令嬢オリヴィア・ビュッサーがおり、私に冷笑を向けていた。
 本来なら私は王太子にエスコートをされるはずだったのに、彼はいっこうに姿を現さず、仕方なく一人で会場に来てみれば、彼はオリヴィアと仲睦まじくしていたのだ。
 ──私は彼に婚約破棄される時、まったく身に覚えのない行いを読みあげられた。周りの者達は王太子の発言を信じ切っていた。

『──ゆえに私はフィオナとの婚約を解消し、心優しいオリヴィアと婚約することにした!』

 そう王太子が告げた瞬間、目の前が真っ黒になった。
 なんで?
 ……なんで、私が?
 理不尽すぎる展開についていけない。悲しみと憎しみ、そして好きな人に裏切られた苦しさで心がいっぱいになり、私はその場に膝をついた。
 ──息ができない。
 私は大きく咳き込み、フロアの床にしがみつくように手をついた。
 私の影が大きくなる。体から黒い瘴気が立ち昇り、人々を飲み込み始めた。

『魔力の暴走だ! 逃げろっ!!』

 誰かがそう叫ぶと、辺りは騒然となった。人々がぎゅうぎゅうになった扉で、我先にと逃げ出そうと押し合う。

『虹眼(こうがん)の魔法使いの暴走だ!』

 特に魔力のある魔法使いは七色の瞳をしており、虹眼の魔法使いと呼ばれた。
 私の闇はその場にいた人々を飲み込み、大きな爆発音と共に王都を半壊させてしまったのだ。

 ──思い出して自嘲する。
 王太子のせいだと罵りたい気持ちは勿論ある。けれど力を制御できなくて多くの人を殺してしまったのは私の責任だ。
 ふと、見慣れた顔が見物人の中にある気がして、そちらに目をやる。そこには私を早々に切り捨てた義理の両親が忌々しげにこちらを見つめている。
 乱暴に斬首台にうつぶせにされ、頭上にあるギロチンの存在を感じた。苦しい体勢も、もう気にならない。
『殺せ、殺せ、殺せ』と怒号のような民衆の声が耳に響く。
 私はそっと目を閉じた。

 ……ああ、最後に……血の繋がった本当の家族に会いたかったなぁ。

 そう願った瞬間、ガラスが弾けるような音が響いた。


 ◇◆◇


 私はパチリと目を開けて、そこがどこか分からず何度か瞬きした。
 よく見れば私の寝室だ。勢いよく起き上がる。

「生きてる!?」

 寝衣の胸元をつかんで、その手が存外に小さいことに気づいた。そして元々ささやかだった胸元はさらにぺたんこ──垂直に近い絶壁になっており、私は悲鳴をあげた。
 その声を聞いて、侍女マグラが飛び込んでくる。

「お嬢様! どうなさいました!?」

「マグラ……私の胸が……」

 私のコンプレックスのお胸がさらに消滅していることを告げると、マグラは呆れたように笑う。

「何をおっしゃってるんですか。変な夢でも見たのですか? お嬢様は、まだ六歳になったばかりではありませんか。淑女のように豊かなお胸など、あるはずがありません」

「え……」

 そう言われても信じられなかった。
 私はベッド脇の机に置いてあった鏡を手に取り、じっと覗き込む。
 そこにいたのは、六歳くらいの稀有な美貌の幼女だ。
 金髪は緩く背中まで流れている。
 光を反射して七色に輝く虹眼の瞳。大きな目、白い肌。

「わぁ……ちっちゃくなってる!?」

 柔らかいほっぺを手で包んだ。
 何度見ても、十年前の姿に戻っていた。

「えーと……えーと……どういうこと?」

 今まで夢を見ていたのか? とも思ったが、夢にしてはリアルすぎる。それに十年分の記憶がきっちりあるのだ。
 とても現実とは思えないが──私は過去に巻き戻された……らしい。
 虹眼の暴走のせいかと思ったが、時間を巻き戻す魔法なんて聞いたこともない。
 私が何故こうなってしまったのかまったく分からない。
 けれどハッキリしているのは、私が十年後に王太子から婚約破棄され、大罪人として処刑されるということだ。
 ──そんな未来、ぜったいに嫌だ。

「……どうしたら良い……?」

 私は必死になって未来を回避する方法を考えた。
 やはり、魔法を暴走させたのが一番良くなかった。魔法使いとして学んできたけれど、制御の練習が足りなかったのだろう。

 ──王太子の婚約者にもなりたくない。

 政略結婚で婚約させられたとはいえ、当時私は王太子にほのかな憧れを抱いていた。その思いは婚約破棄されたことで、もはや完全に消え失せていたけれど。
 今はもう、あんな未来になるくらいなら王太子と会うのも嫌だ。
 けれど王家の縁戚になりたい義両親は、このままだと私を王太子の婚約者にしようとするだろう。

 ──本当のお父さんに会いに行こうか。

 私は処刑される前、私の出生の秘密について義母から罵り言葉と共に聞かされた。
 私がこれまで両親と思っていた二人とは血の繋がりはなく、私の実の父親は大賢者だと言われるアガルト・リッターだという。
 彼は王都から少し離れた【魔の森】に住む、偏屈で冷酷な男だと言われている。
 けれど町の宿屋の看板娘だったジェーン・ボーランと一夜の恋に落ち、彼女は私を出産。母は一人で育てて行くことにしたらしい。けれど彼女は流行り病で私が三歳になる前に亡くなった。
 母の友人──というより、ほとんど知り合いに近かった義母が私を引き取ったのには理由がある。
 義母はブラウン伯爵と不倫関係にあったが、後妻にはしてもらえず数年前に振られてしまった。
 しかし諦めきれなかった彼女は伯爵夫人を階段から突き飛ばして密かに殺し、私を伯爵と自分の間に生まれた子だと偽って再び彼の前に現れた。
 私が希少な虹眼の瞳を持っていたこともあり、義母は伯爵夫人の後釜になることができたのだ。

 それから私は伯爵家の娘として育てられた。
 だが、私が本当の娘ではないためか、義母からは冷遇された。伯爵も私に冷淡だった。もしかしたら、伯爵は私と血の繋がりがないことに気づいていたのかもしれない。──今になって振り返ってみれば、そう思う。
 虹眼を持つ娘なら、王家だって放っておかない。力のある魔法使いなら一個中隊、賢者と呼ばれる者なら一個師団相当の力を持つと言われている。だから、ただの政略の駒として利用されただけなのだろう。

 私は拳を握りしめ、今晩家を出よう、と決意した。


 ◇◆◇


 夜の世界は暗くて怖い。
 私は背負える鞄いっぱいに、服と数日分の水と食べ物を詰めた。お金も少し。
 昼間こっそり集めて、布団に潜り込み、月がてっぺんに昇る頃まで息を潜めて待っていた。
 私はリュックを背負って窓辺に立つと、月明かりに照らされた私室を振り返る。

「……ごめんね。さようなら」

 好きだったお人形さんもたくさんあるけど、全部は持っていけない。
 義両親はアレだったけれど、マグラを始め、使用人達には良い人も多かったのだ。別れるのは悲しいけれど、未来をこのまま甘受することはできない。
 私は窓の鍵を開けると、飛翔の呪文を口にして、二階から飛び降りる。
 ふわりと着地し、辺りを見回した。誰にも気づかれていない。
 私はそのまま魔法で走って壁を登り、屋敷を出た。

 重量を感じなくする魔法を両足にかけると、弾むように進む。
 石畳を駆け抜け、城壁を飛び越え、私はいともたやすく王都を脱出することができた。
 ──未来の記憶があったおかげだ。
 六歳の幼子には到底知り得ない魔法の知識も、今の私にはある。

「──【魔の森】へ」

 魔法を使って、飛ぶように爆走してかなり時間が経った頃──眼前に巨大な森が見えてきた。
 一度入れば生きて戻ってこられないと言われる場所だ。ごくりと唾を飲み込み、森の中に入っていく。
 夜の生き物がカサリと枯れ葉を踏みながら歩く足音や、遠くの小川から聞こえるせせらぎ。虫の声に、私の体がぶるりと震える。
 成長してからも夜の森に立ち入った経験は一度もない。昼間とは打って変わって、暗がりには魔が潜む時間になるのだ。

「お父さん……」

 アガルト・リッターって、どんな人だろう?
 私が彼について知っていることは多くない。
 前の大戦の英雄で、一人で敵の大隊を何個も撃破したとか。人と慣れ合わず、森の中で暮らしている変人だとか。とても非道で、魔物の肉を生で食べているとか……。
 私は恐ろしい想像を振り払って、前を見据えた。

「……どこにいるの? アガルト・リッター……」

 私はそう呟いた。
 あてもなく歩き続けるのも限界がある。
 木に手をついて立ち止まった時、ボッと耳元で音がした。目の前の空間が揺れ、違う光景が視界に現れたのだ。

「わぁ……っ」

 大きな姿見くらいの通り穴がある。
 そこには別世界が広がっていた。
 レンガ造りの可愛らしい二階建ての家だ。夜だからか、玄関にはランプが灯っている。

 ──突然家が現れたということは……招待されたということ?

 今まで人が住んでいる気配が森のどこにもなかったのは、魔法がかけられていたからなのだろう。
 私はその招待を受けることにした。
 おそるおそる、その空間に足を踏み入れる。途端に、入口が消えて驚いた。
 手入れされた庭園の脇を通り、玄関までたどり着く。私は緊張しつつ呼び鈴を鳴らした。

 ……出ない。
 もう一回、チリンチリンと鳴らす。

 すると、玄関の向こうから、何やらものすごい音が聞こえた。積み重なっていた物が崩れ落ちるような音だ。
 間もなく玄関扉が開かれたが、それと同時に中から触覚の長い黒い虫がニ匹這い出てきて、私の靴の横を通り過ぎていった。

「ひょぇええっ!?」

 私はあまりのことに悲鳴をあげて、地面をバタバタと踏み鳴らした。

「……なぜ、一人でダンスを踊っているんだ?」

 そう言った男性に目を向ける。
 肩下まで流れ落ちる金髪と、虹色の瞳。端正な美貌の、三十歳くらいの男性だ。だが目つきが悪く、目の下にはくっきりとクマがあり、顎や鼻下はひげでモジャモジャなせいで、全てが台無しになっていた。
 彼はだらしなくよれたシャツとズボンを着ており、私を不審げな眼差しで眺めている。
 私は彼こそがアガルト・リッターだと確信した。
 私はスカートをつまんで、淑女の挨拶をした。リュックが重くてよろける。

「はじめまして。私はフィオナ・ブラウン。伯爵家の養女でした。血の繋がった父に会いにきました」

 私がそう言うと、彼は瞠目(どうもく)した。
 しばらく何か考えるように顎を撫でた後、「……入れ」と言って、私を家に入れてくれた。
 ゴミが廊下に山積みになっており、通路にはギリギリ人が通れるくらいの幅しかない。
 私は気が遠くなった。
 ……実の父親が汚部屋の住人だったなんて……。
 怪物のように扱われる大賢者の彼よりも、魔の森の生き物達よりも、この家の汚れっぷりの方が怖い。我が父、生活能力がなさすぎる……。

 案内された居間兼台所のような一室は、ゴミの山が家具のようになってさえいなければ、それなりに広くて居心地が良さそうだった。
 巨大な木の幹を縦にはんぶんこにしたような机には、書きかけの紙や魔法道具が散らばっており、とても食卓とは思えない。

 父は机の上のよく分からない物達を手で脇に寄せ、私に座るように勧めた。
 何日洗ってないんだと思うような汚れたコップを手に持つと、彼は何か呟いた。途端に、コップが綺麗になる。浄化魔法だ。
 なるほど……まったく整理整頓も掃除もしている様子はないのに、父の服がそれなりに清潔なのは浄化魔法のたまものなのだろう。
 彼は部屋の隅の流し台に向かうと、取っ手のようなものを上下させた。すると綺麗な水が出てくる。

「えっ!? そ、それ、どうなっているんですか?」

 水を飲むなら、井戸から汲んだ水を樽に貯めて使うのが一般的だ。その水はどこから湧いてきたのか……。
 彼はしれっとした表情で答える。

「森の中の湧き水から、【転移の魔法陣】を使って水を引いている。この鉱石の筒には浄化魔法陣が刻まれているから、どんな水でも綺麗なものが出てくる仕組みだ」

「すご……」

 さすがは大賢者と呼ばれるだけのことはある。
 しかし、浄化魔法をもってしても部屋は汚い。さすがに物を整頓する魔法は存在しないのだろう。
 父は私の前に水を置いて、向かいの席に腰かける。

「……それで? 先ほど、お前は俺の娘だと話していたが……」

 私は居住まいをただして、父に向き直った。

「はい。ジェーン・ボーランという名前に聞き覚えはありませんか?」

 私は母の名を出し、ここにやってきた事情を──十年後に起こったことまで全て彼に話した。
 たまに相槌を打ちつつ私の話を聞き終えた父は、居心地悪そうに身を動かした後、目元を手で覆って大きくため息を吐く。

「……そうか。ジェーンは死んだか……」

 そのかすかな言葉に愛情と後悔が混じっている気がして、私は父の中に母の影を見つけようと、じっと彼を見つめてしまう。

 ──何を考えているのかな……?

 黙りこくっている父に、私は不安を覚えた。
 彼からしたら私が実の娘だという確証はないはずだ。
 出ていけと言われたら、どうしよう……。帰る場所なんてないのに。
 私はもじもじして、膝の上で拳を握りしめる。

「あ、あの……私の話を信じてくれますか……?」

 気弱な声になってしまった。
 父は一拍置いて、「ああ」と頷く。

「お前の周囲に、俺の魔法の気配があるからな。……十年後から過去に戻ったというのは、俺がジェーンに授けた魔法だろう。何かとんでもないことが起こった時にやり直せるように、俺が彼女に与えたものだ。……魔法は譲り渡すことができる。ジェーンは自分のためには使わず、娘のお前に魔法を残したのだろう」

「そう……だったんですね……」

 ──お母さんのおかげで、私は助かったんだ。
 それを知り、胸の奥がじんと熱を帯びる。
 耐えきれなかった涙がぽろりと私の目の端からこぼれた。
 父がいきなり立ち上がり、動揺したように口早に言う。

「なっ、泣くな! 子供に泣かれると、どうして良いか分からなくなるっ」

 彼は慌てて私の元までやってくると膝をついた。
 拭くものを探したが見つからず、己の袖でごしごしと私の目元をこする。痛い。力加減が分からないらしい。

「お前が俺の娘だというのも、本当だろう。お前のまとう魔力は俺のものに、よく似ている。……それに魔力が強い者は子供も強くなることが多い。俺の虹眼がお前に受け継がれたんだろう」

 私は頷いた。
 父は戸惑いぎみに、私に尋ねる。

「……それで、お前はなぜ俺のところへやってきた? 何を望む?」

「私は……」

 ──お父さんと一緒に暮らしたい、です……。
 そう言いかけて、口をつぐんだ。

 嫌がられたら、どうしよう。
 彼は森の中で一人で暮らすくらい孤独を愛する人だ。
 私はぎゅっと瞼を閉じる。
 脳裏に義父と義母の顔が浮かんだ。
 ──利用価値がないものをそばに置くなんて、そんなことをする大人はいないだろう。
 ましてや、彼は冷酷非道と恐れられる男なのだ。
 私は困り果てて、部屋の中を見回し、『これだ!』と良い方法を思いついた。

「私は魔法を制御できません。そのせいで、十年後、魔力を暴走させてしまいました。なので……アガルトさんに、弟子入りしたいです……」

「俺に弟子入り?」

 彼は予想外だったのか、眉をよせて聞き返した。
 私は焦って深く頭を下げる。

「はい! どうか、住み込みで修行させて下さい! もちろん、料理や掃除もやりますから……っ」

 私は伯爵令嬢ではあったが、王立学園の魔法科に入ってからは、寮で炊事・掃除も自ら行っていた。
 料理に関しては家に戻るたびにマグラからレクチャーしてもらっていたので、それなりのものが作れる自信はある。

 父はしばらく押し黙っていたが、ぐしゃりと己の金髪を掻き回して、目を閉じる。

「俺は弟子は取らない主義だが……ま、良いだろう。ここに住むと良い」

 そうして、私と父の共同生活が始まったのだ。


 ◇◆◇


 まず、最初に行ったのは、屋敷の掃除だった。
 私の部屋として与えられた二階の一室はゴミこそなかったが、蔵書がそこここに高く積まれており、歩くたびにホコリの雪の中で足跡が残る。
 ベッドもあったが、いつから干してないんだろう……と絶望してしまうほど臭い。
 私は横になることはできず、朝を迎えた。

 空がうっすら明るくなり始めた頃、私はそうっと階段を降りて、台所に忍び込む。
 朝食を何か作ろうと思ったのだけど……どこに食材があるのだろう。見たところ、ゴミの山脈しかない。

「う〜ん……どうしよう」

 一応数日分の食べ物は家から持ってきているが、黒パンと果物くらいしか用意はない。
 ふと、台所の隅に私の身長くらいの大きさの四角くて白い箱のようなものを見つけた。そこに魔法の波動を感じる。
 ──もしかしたら、水を家に引く魔導具みたいに、何かの役割があるのかもしれない。
 そう思い、全面いっぱいにある蓋を手前に引っ張った。
 すると冷気が内部から出てくる。

「え〜と……氷室?」

 王宮にはあると聞いていたが、こんな小型のものが作られているなんて聞いたことがない。これも、きっと父が開発したものなのだろう。
 中には、何の生き物か分からない肉が吊り下げられていた。長い緑色の毛がびっしりと生えた、黒い鉤爪がついた手……まるで魔物のそれだったが、いや、まさかな……と頭を振る。さすがに父が魔物食をする変人だとは思いたくなかった。
 棚の中に調味料が入った小瓶っぽいのをいくつか見つけて、その一つを手に取り、おそるおそる舌で味わう。この怪しい白い粉は……塩?

「パンはあるし……よく分からないお肉と、塩。まぁ、なんとかなりそう」

 その白い氷室の中は生肉と調味料しかなかった。今まで父は何を食べて生きてきたのだろう? まさか、肉を塩で焼いただけのものを毎日食べてきたのだろうか。野性味あふれている。

 踏み台があったので、それを登って、とりあえず流し台を綺麗にした。
 そして平鍋で薄切りにしたお肉を焼き、黒パンに挟み込む。それに果物を添えて完成だ。

「う〜ん……完璧ではないけど、仕方ないか」

 材料さえもっとあれば、スープやサラダなど、ちょっとしたものが作れただろうが。
 後で台所を掃除してから、王都に買い出しに行くか。
 私がガサゴソする物音で、父は目を覚ましたらしい。
 廊下から靴音が近づき、寝ぼけ眼の父が居間兼台所に入ってくる。
 そして机の上に置かれた朝食に目を丸くしていた。

「あ、あの……おはようございます。ご飯作りました……良かったら……」

 私が言い終える前に彼は席につくと、「……頂く」と言って、パンにかぶりついた。
 その食べっぷりに私は面くらいつつ、向かいに腰掛けて自分の分を食べる。
 私が二口めに突入する前に、父は食べ終えていた。
 ……次はもっとたくさん作ろう。
 午後に買い出しに行くことを告げると、彼は部屋からお金の入った袋を持ってきた。

「これで買い物をすると良い」

「えっ、良いんですか?」

 渡されたものを手に持つと、ずっしりと重い。
 父は決まり悪げに後ろ頭を掻いている。

「俺は女子供の服なんて分からんからな。お前が選べ。ここに住むなら、必要なものもあるだろう。俺も偶然、町に用事があるから、一緒に行ってやっても良い」

 その言葉にじんわり胸が温かくなる。

「はいっ!」

 その後は、二人で部屋の掃除をした。

「ちゃんと綺麗にして下さいっ」

 私がそう言って指示を出すと、父は面倒くさそうな顔をしながら袋にゴミを詰めていく。

「これはこれで整頓されてたんだけど……」

 そう不満げな彼に、私は目を釣り上げた。

「どこが!?」

「ちゃんと場所は把握してた。位置を変えると分からなくなるんだ。……それに、これだって、いつか使うかもしれないじゃないか」

 そう言いながら、父は穴が空いた袋と割れた皿を私に見せる。
 言い訳ぎみの父に、私はホウキとチリ取りを渡した。

「一年使わないものは、今後も使いません。捨てて下さい」

 整理整頓は、まずいる物いらない物の仕分けから始める。
 父の表情はゲンナリしていたが、私のほうがもっとウンザリしている。
 この家を全て綺麗に片付けるには、少なく見積もっても二週間はかかるだろうから。


 ◇◆◇


 私と父の生活は、ゆるゆると過ぎていった。
 父にひげを剃ってもらい、ちゃんとした格好をしたら、まるで王様みたいな気品と威厳が出る。
 ご飯もしっかり栄養のあるものを食べているためか、最近は肌ツヤも良い。干してふかふかの布団になってから快眠できるようになったのか、目の下のクマもすっかり消えていた。
 一年も経つと、父は別人のようにスッキリした小綺麗な見た目になっていた。

「アガルトさん、ご飯できたよ〜」

 いつの間にか砕けた口調になっていた私は、そう言って父の書斎をノックする。
 彼は中で何やら慌てて物を入れたのか棚を閉じるバタンという音がして、扉が開いた。

「あっ……アガルトさん」

 私はそう口にした。
 彼はまた嫌そうな表情をしている。
 最近は私が呼びかけるたびに、父はそんな顔をしていた。
 何か言いたそうに口をモゴモゴさせた後、彼は自身の頭をガシガシと掻き回す。

「……行くぞ」

「? うん……」

 何か言おうとして諦めたらしい。
 父の後ろについて、私は居間兼台所に向かう。
 自分よりずっと大きな背中を見上げながら、私はぼんやりと思った。
 ……なんで、近ごろ、私が呼びかけるたびに嫌な顔をするんだろう?
 もしかして掃除しろとか、ひげを剃れとか、鬱陶しいことを言い過ぎたのかな?

「…………」

 一緒に暮らして一年経って、ようやく本当の意味で打ち解けてきたような気がしていたのに……そう思っていたのは私だけだったのかもしれない。
 私はしょんぼりとしながら台所で父と食事をした。彼も無言だった。
 ちらりと見ると、また何か言いたげにしていた父と目が合う。すぐに視線を逸らされてしまった。
 ……もしかして、出て行って欲しくなったのかな。
 それを言い出せないだけかもしれない。
 私は胸が苦しくなって、ぎゅっと目を閉じた。
 その時、玄関の呼び鈴が鳴る。お客さんだ。

「はぁい」

 私は椅子から降りて、玄関扉を開ける。
 そこには赤銅色の髪の青年がいた。見た目は二十代前半くらいだろう。茶色の外套を身にまとっている。
 彼は父の仕事相手で、友人のディオラルドさんだ。

「いらっしゃい! ディオラルドさん」

 私が笑みを浮かべると、彼はニカッと笑う。八重歯が口から覗いた。

「よう、フィー。また大きくなったな」

 彼は私を、フィオナの愛称のフィーと呼ぶ。
 ディオラルドさんは私の両脇に手を差し入れ、まるで赤ちゃんにするみたいに空中で回転させた。

「わっ、アハハッ……」

 そんな体験なんて今までしたことがなくて、つい面白くて笑ってしまう。
 私は数回ぐるぐる回された後、床に降ろされた。
 なぜか、父が鬼(オーガ)のような形相でディオラルドさんを睨んでいる。

「ディオラルド……。フィオナに軽々しく触るな」

 冷たい父の言葉を、ディオラルドさんは笑って流した。

「別に良いじゃん〜。だって、フィーはこんなに可愛いんだもんな? 大きくなったら俺のとこに嫁にくるか?」

「ディオラルド!!」

 そう激昂する父に、「はいはい」とディオラルドさんは軽くいなした。
 その後は、二人は仕事の話を始めたので、私はそっと自室に戻ることにした。
 ディオラルドさんは仲介屋で、父に魔導具や魔法薬の制作を依頼しにきていた。
 私はしばらく部屋で一人で魔法書を読んでいたけれど、つまらなくなって本を閉じる。

 父はこの一年で、たくさんのことを私に教えてくれた。
 おかげで前よりも魔力が制御できるようになったと思う。

「やっぱり出ていくべき……なのかな?」

 窓から外の景色を眺めながら、そう呟いた。
 父の身の回りのことをすることで彼の役に立っているつもりだったけど……彼の厚意に甘えて、家に住まわせてもらっているのは確かだ。
 私は父の仕事をたまに手伝うことはあるけど、報酬が高くて危ない依頼は父がさっさと一人で済ませてしまう。
 私がほとんど家計の助けになっていないことを自覚していた。
 父からしたら、厄介者に感じても無理はない。

 ……ディオラルドさんに相談してみようかな。

 私はそう思い、ディオラルドさんが帰ろうとした時に「外まで見送るため」と父に嘘をついて、二人で家の外に出た。

「あの、ディオラルドさん……」

 私はそう彼に呼びかけた。
 私の深刻な表情で何かを察したのか、ディオラルドさんはその場に屈んで視線を合わせてくれる。

「どうしたんだい? フィー」

「あ、あのね……ディオラルドさんはアガルトさんの友達でもあるよね? だったら、アガルトさんが私のことをなんて言ってるか知らない?」

「えっ、どういう意味?」

 目を丸くしている彼に、私はまくしたてるように話した。
 この頃、父の様子がおかしいことを。
 私が話し終えると、ディオラルドさんは苦笑していた。

「ははぁ……。なるほどね。本当にアイツは言葉足らずだよねぇ」

 何かを納得したように頷きながら、ディオラルドさんは続ける。

「ま、俺がなんやかんや言うより、直接見た方が良いと思うよ。アイツはものすごい……なんというか、君が思っているよりずっと……アレだから」

 そして、なぜかディオラルドさんは私に父の書斎の机の引き出しの中にある日記を読むよう勧めてきた。
 父は大雑把だが意外とマメなところもあり、日記をつけているらしい。
 ──でも、勝手に読んで良いものなのかな……?
 そういうのは隠したい事柄がたくさん書かれているだろう。無断で見て良いものとは思えない。
 ためらっている私の頭をグシャリと、ディオラルドさんは撫でた。

「君はまだ子供なんだから……もっと大人に甘えて良いんだよ。過去のことは忘れて、もっと周りを……アガルトを信用すると良い」

 その優しい言葉に、じんわりと涙がにじむ。
 私は十六歳まで生きた記憶があるのに、過去に戻ってからは肉体に精神が引きずられるのか、涙もろくなってしまっている。

「ありがとう。ディオラルドさん……」

 私の言葉に、ディオラルドさんは微笑んだ。
 彼の姿が見えなくなるまで見送り、目元の腫れが治まってきた頃に家に戻る。
 てっきり、もうとっくに自室に戻っているだろうと思っていた父が、不機嫌な表情で居間に立っていた。

「……アガルトさん?」

 困惑して私が呼びかけると、父は身を硬くして吐き捨てるように言った。

「……お前は、本当にディオラルドに懐いているよな。俺よりも」

「えっ……」

 父は小馬鹿にしたように鼻で笑う。

「そんなにディオラルドの方が良いなら、奴に弟子入りしたらどうだ? 奴も魔法が使える。お前の目的を達成するには充分だろう?」

 その言葉の棘に、私は唇を噛みしめて湧き上がる感情を堪えた。
 ……こんなにひどい言葉を彼から言われたことは今までない。
 確かに魔法を制御できるようになりたいという大義名分で、彼に弟子入りした。
 けれど、彼と一緒に暮らしかったのは、何より私の父親だったからだ。
 私には、そばにいるための理由が必要だった。

 私は耐えきれなくなり、父の横を通り過ぎて自室に駆け込み、鍵をかけた。
 ポタポタと涙が頬をこぼれ落ちる。

 ……やっぱり、お父さんは私のこと邪魔なんだ。

 明日、家を出て行こう、と心に決めた。
 これ以上、私の嫌な記憶を彼の中に残したくない。


 ◇◆◇


 朝食を終えると、早々に部屋に戻る。
 昨日のことがあったせいで、父は決まり悪げな表情で口を閉ざしていたし、私も必要以上は喋らなかった。
 ──けれど、それで良かったのかもしれない。未練たらしい言葉が口から出てきてしまいそうだったから。
 すでにリュックに荷物を詰め終えてある。父へのお礼の手紙を机の上に残していく。

 自室の窓から片足を出したところで、ふと、昨日ディオラルドさんに言われた言葉を思い出す。
 ──日記か……。
 家を出たら、簡単に確認できなくなるだろう。もしやるなら今しかない。
 ──でも、勝手に見たらダメだし……。
 しかし、父がどういうことを書いているか興味はあるのだ。
『生意気な子供だ』とか、『さっさといなくなってほしい』と書いてあったら、どうしよう……。
 でも、そうだったら逆に踏ん切りがついて良いのかもしれない。

 私は覚悟を決めて、そうっと父の書斎に忍び込むことにした。
 父はまだ一階にいるはずだ。けれど、いつ階段を上がってくるか分からない。急がなければ。

 ──たしかディオラルドさんは、机の中って言ってたよね……。

 幸い、鍵はかかってないようだった。分厚い革の冊子の、手のひらくらいの大きさの本だ。
 ドキドキしながらページをめくろうとしたら、階段がミシミシ音をたてた。
 ──ヤバい。見つかる!
 私は急いで窓へ向かった。
 鍵を開けて窓の外に足を出すと、少し足場になりそうな部分が下にあったので、そこに体重を乗せて外に身を出す。窓を閉めるのと同時に父が書斎に入ってきた。
 私は頭をひっこめる。飛翔の魔法をブーツの裏にかけて、二階から地面に飛び降りる。
 枯れ葉がカサリと音を立てたけれど、魔法のおかげで衝撃は最小限になったはずだ。

 私は手の中の日記を見おろして、うっかり持ってきてしまったことにようやく気づいた。
 ──少し見るだけのつもりだったのに……。
 父の書斎の窓を見上げて、どうしようか迷った後、一緒に持っていくことに決めた。
 ここにずっと立っていたら父に見つかってしまう。
 内容も気になるし、とりあえず持っていって、後で返しにくるか決めよう。
 私は駆け足で、魔の森を抜けていった。

 王都の区域内に入り、石畳を歩いていく。
 どこに行こうかな……。
 目的地も何も決めていなかった。
 せっかくなので、いつもは危ないからと、一人では行かせてもらえない猥雑な市場の通りを歩いていく。
 間もなく、果物屋の露店から声がかけられた。

「おや、フィー。今日は一人かい? お父さんは?」

 エプロンをつけた顔見知りのふくよかな女将さんが、こちらに手を振っていた。

「こんにちは。……え、えーと、そう、今日はおつかいなんですっ」

 慌てて、そう言い訳する。
 女将さんはちょっと不審げに首を傾げた後、「ちっちゃいのに、えらいねぇ」と、笑顔でりんごを一個サービスしてくれた。
 私はお礼を言って、それを受け取る。
 広場に向かって歩いていると、露店の金髪のおじさんが「フィー、今日もめちゃんこ可愛いな! どれ、サービスだぞぉ!」と、焼いたお肉を串に刺したものを一個くれた。

 ──あれ? 何だか、みんな、いつもより優しい……?

 首を傾げつつ、串焼きを受け取る。
 いつもは父に恐れをなして遠巻きにしていた人達が、目をギラつかせて、わらわらと私の周りに集まってくる。 

「いつもアガルトが怖い目で睨んでくるから、お嬢ちゃんに近づけなかったんだよぉ……っ!」

「大賢者で父親だからって、こんな可愛い子を独り占めするなんて……! ずるいじゃないかっ」

「きゃわいぃ! きゃわいぃよう!」

「うちの息子と友達にならないか? そして将来は息子と結婚して、うちの娘に……いや、でもアガルトに殺されそうだな……」

 ほっぺをモミモミされ、頭をなでなでされ、色んなお菓子が私の両手に集まる。
 しばらくして、どうにかその集団から脱した。

「……っ???」

 色んな人に揉まれながら広場へ向かう。
 ベンチに座ってから、ようやく人心地ついた。
 たくさんもらったお菓子をリュックにしまい、串焼きをモシャモシャ食べる。
 いつもは父がいるためか、できるだけこちらに目を合わせないようにしていく通行人達が、私を見て破顔する。

「みてみて、あの子。お人形さんみた〜い」

「足が地面に届いてないよ。かわいいっ」

 足が短いことを指摘され、かぁっと顔が熱くなった。
 ──ダメだ。あまり周りの音に聞き耳をたてないようにしよう。
 私はそう頭を振って雑念を追い払い、父の日記を取り出した。
 表紙をそっと撫でて、こわごわとページを開く。

「なになに……」

 最初の方は何年も前の記録らしい。魔法の研究のことや、仕事のこと、天気のことなどが毎日一、ニ行だけ書かれている。数字だけの日もある。
 私は顔をしかめた。
 めくってもめくっても、代わり映えのしない毎日だ。何が楽しいのだろう?
 仕方なく、パラパラとページを進めていく。

「あ……」

 私と出会った日にまで、たどり着いた。
 その日だけはこれまでと違い、何行も詳細に書かれている。

『森の中に変な気配を感じたので、家に招いてみた。俺がジェーンに授けた魔法の気配がしたのだ。玄関にやってきたのは、ものすごく、ちみっちゃいガキだった』

「ちみっちゃくないもんっ!」

 思わず憤慨して声を上げてしまった。
 慌てて周りを見回すと、通行人の好奇な瞳がいくつも私に向けられている。私はごまかすように笑って、日記に視線を戻した。

『ジェーンは死んだらしい。気づいてやれなかったことに後悔が残る。──いや、あれは一人で何でもしようとする勝気な女だったから、俺の助けなんていらないと突っぱねたかもしれないが……。もっと違う未来もあったんじゃないか? と思えてならない。自分の研究ばかりで、何年も会いに行けなかったのが悔やまれる。今更そんなこと言っても仕方ないが……』

「…………」

 私は深呼吸して目を閉じる。
 そして、またページをめくった。

『俺に弟子入りしたいと、ちいさいのは言った。炊事や掃除はするから家に置いてほしいと。俺としては、その申し出は不服だった』

「……っ」

 堪えていた涙が耐えきれず、頬にこぼれ落ちる。

 ──やっぱり、お父さんは私のこと邪魔に思ってたんだ……。

 すでに分かっていたことでも、父の言葉で言われると傷つく。
 私はきっと色んな迷惑を彼にかけてしまっていたんだ。
 手の甲でグイッと涙をぬぐう。

 ──続きを読もう。

 心が痛かったが、私には知る責任があると感じた。
 翌日以降の記録に目を向ける。

『俺のためにご飯を作ってくれた。なんて良い子なんだろう。しかも美味しい。なんでも服を買ってあげたくなった。特に町に用はなかったが、荷物持ちで同行することにした。すると町の者達が娘の可愛さにメロメロになっている。たくさん近づこうとする者がいたが、俺が睨みつけたら恐れをなして逃げて行った。虫が寄ってくるのが早すぎるんじゃないか? そういうのはせめて、年頃になってからにしてくれ。まぁ仕方がない。この可愛さだ。一人で町に出たら誘拐されかねない。今後もしっかり目を光らせよう』

「???」

 あれ?
 突然、文章がおかしくなった。
 思わず目をこすって、もう一度確認してみる。
 間違いなく、そう書かれていた。同じ人が書いた文章なのだろうか?

「えっ?」

 本当に?
 未だに信じられない気持ちで、続きを読む。
 ページをめくるたびに、日記の文字数が増えていく。

『フィオナは血の繋がりがない義理の家族に冷遇されて育ったそうだ。あげく王太子から婚約破棄され、魔力を暴走させた罪で処刑されてしまうのだと。……彼女は母親を亡くしてから、あまりに辛い経験ばかりしている。幸せにしてやりたい。ジェーンの忘れ形見でもある。でも、俺は今までずっと独りで暮らしてきた。子供への接し方なんて分からない。いや……子供に限らず、人とどうやって関係を築いていけば良いか、分からないんだ。情けない。こんなの、父親失格だろうに。フィオナに俺は何を教えられる?』

「……おとうさん」

 胸にじんわり熱が広がる。

『最初から不満だったが、最近はフィオナに呼ばれるたびに不愉快な気持ちになる。アガルトさんって……もっと他に呼び方があるだろう。他人行儀すぎる』

「えっ……」

『だいたい、最初に出会った時からアイツはそうだ。弟子入りを申し出るなんて……気にくわない。望むなら魔力の制御方法だって喜んで教える。でも魔力がなくても、料理や掃除ができなくても、ただの無力な子供でも良かった。俺は得意じゃない炊事や片付けも苦労しながら……四苦八苦しながら、やっただろう。俺は父親なんだから。一緒に住むのに、それ以上の理由はいらない』

 一番最後の日記は、書きなぐられたような文字だった。

『……フィオナに怒鳴ってしまった。心にもないことを言った。最悪だ。最低な父親だ。ディオラルドに嫉妬してしまうなんて……。明日、謝ろう。勇気を出すんだ』

 泣き続ける私を見かねてか、優しそうなおばさんが声をかけてきてくれた。

「お嬢ちゃん、大丈夫? 迷子になっちゃったのかな? ご両親は? おうちの場所は分かる?」

 私は涙を手でぬぐい、ベンチから立ち上がった。

「だいじょうぶ。一人で帰れます。ありがとう」

 ──帰ろう。
 そう決意した時、女性の怒鳴る声が響いた。

「フィオナ! フィオナじゃないっ」

 驚いたような形相で駆け寄ってきたのは──義母だった。
 まさか、また会うなんて思わなかった。
 彼女は険しい表情でまくし立てる。

「今まで、どこ行っていたの!? 探したんだから!! 手間かけさせるんじゃないわよ! 伯爵がお怒りなんだからっ!」

 そう言って、私の手首を乱暴に引っ張った。
 私に声をかけてきた通行人のおばさんは、「お母さんが見つかって良かったわねぇ」と笑みを浮かべている。
 ──違うのに。

「やだっ!! 離してぇ!! あなたは私のお母さんじゃないッ!!」

 私は必死に抵抗した。
 ──もう、あんな家になんて戻りたくない。
 私を利用しようとする義母も、伯爵も、王太子も。十年後の未来も。ぜんぶ、まるっと拒絶する。

「……おとうさんっ!!」

 無意識のうちに、そう叫んだ。
 義母が「この……っ」と真っ赤な顔で怒鳴り、掲げた手が私に向かって振りおろされようとした瞬間──。
 雷のような激しい音がして、私はいつの間にか、父の腕の中に抱きかかえられていた。

「あ……」

 温かいぬくもり。
 父は鋭い瞳で、義母を睨みつけている。

「……俺の娘に何をする」

 義母は片手を手で押さえて、私達を見据えて歯ぎしりしていた。
 私達と義母の間には、魔法陣がいくつも浮かんでいる。
 義母は激昂した。

「お前かっ!? 私の娘を連れていったのは……!! この誘拐犯めッ!!」

 父は義母の言葉を鼻で笑う。

「その言葉、そっくりそのままお返しする。この子を実の娘だと嘘偽りを言って、利用したくせに。伯爵の後妻になるために」

 彼の言葉に、広場に集まっていた人々が騒然となる。
 聴衆の厳しい眼差しを受けて、義母は慌てて言いつくろう。

「違うっ!! この男が言っていることは嘘よ! この子は間違いなく血の繋がった私の娘で……っ」

 しかし、私の『お母さんじゃない』発言や、彼女の私に対する態度、そして父と私が同じ虹眼をしていることから、義母の言葉を信じる者はいなかったようだ。人々は冷たい目で義母を見つめている。
 誰かが警備兵を呼んだのか、義母は間もなく取り押さえられた。
 どうやら兵士達は父の顔なじみらしく、『後日ゆっくり話を聞かせてもらうぞ、虹眼』と父に言っていた。もし義母が虚偽の主張をして伯爵家に入ったなら、彼女は罰せられることになるだろう、と。父と私は魔力検査で親子関係にあるか調べられるらしい。

「また娘を傷つけようとしたら、容赦しない」

 父が冷たくそう言うと、義母は肩を落とし兵士達に連行されていった。
 私は父のシャツの胸元をつよく握りしめる。
 ──助けにきてくれた……。

「ありがとう……」

「礼なんていらない」

 今までだったら誤解していただろう無愛想な言葉の中にも、たくさんの気持ちが隠れていることに気付く。
 父は私をそっと石畳の上に降ろした。
 そして、私の手に父の日記が握られていることに気づいたらしい。
 父は露骨にうろたえだし、面白いほど顔面を赤く染めた。

「お、おまえっ……それ、俺の日記じゃ……? まさ、まさかっ、それを読んだのかッ?」

 私は少し迷ってから、日記を父に押し付けた。

「……ごめんなさい。ちょっとだけ、読んじゃった……」

 本当はちょっとじゃないくらい読んでしまった。

「そ、そうか……。いや、別に良い……いや、まったく良くはないが、まァ……その、」

 父は落ち着きなく頭を掻き回すと、ため息を落とす。

「……その……昨日は、すまなか、った……」

 私は彼をじっと見上げて、微笑む。

「わたしも、ごめんなさい」

 二人で顔を見あわせ、笑いあう。
 そして、私達は今日はひとまず家路につくことになった。
 隣で父の指がギクシャクと、何かしたそうに動いている。
 少し待ってみたけど何も起こらなかったから、思いきって私の方から父の手を握ってみた。
 父は硬直していて、私はまた、笑った。何だか楽しいことばかりだ。

「今日は、俺が晩ごはんを作ろうか」

 照れ隠しのように明後日の方角を見ながら頬を赤らめて言う父に、

「イヤ。だって、アガルトさんって、お肉焼いて塩振るだけじゃん」

 私は断固として拒否する。

「……もう、さっきみたいに呼んでくれないのか?」

 父は寂しそうな表情をしていた。
 私は「あっ」っと、口を押さえる。いつもの癖で、名前で呼んでしまっていた。
 私は緊張を押し殺し、勇気を出して、小声で彼を呼ぶ。

「……おとうさん」

 ──と。