王都の中心にあるメデル大聖堂は、メデル国民にとっての心の拠り所になっている。
 国教会が大切にして繰り返し説いているのは、「慈愛の心」。この教えが根底にあるからなのか、メデル国民は争いごとを好まない国民性を持つと言われている。


(――そんな国で、思いっきりヴェルナー家と対立している我がザカリー家も一体どうなの? って感じだけどね)


 ジーク様と共にメデル大聖堂に足を踏み入れると、大聖堂の前方に大きな十字架とステンドグラスが目に入った。
 王族の瞳の色を象徴する碧色を基調にしたデザインは、メデル王家を讃えるためのものだと言う。

 聖堂の入口で一礼し、私たちは席に着く。

 大聖堂に響き渡るパイプオルガンの音色、聖歌隊の歌声。
 ふと横を見ると、ジーク様が聖歌隊の賛美歌に聴き惚れて身を乗り出していた。


(ああ、ジーク様は今日も可愛すぎて尊いわ……)


 私は思わず両手を合わせ、ジーク様の近くに居られることを神に感謝して祈りを捧げた。


「先生、あの子たち、お歌とっても上手だね」
「ジーク様。この歌は、『人間同士で争ってはいけない、手を取り合って愛を育みましょう』という慈愛の教えを歌ったものなんですよ」
「じあい?」
「そうです。家族やお友達を大切にして、手を取り合って優しくする気持ちのことです」
「じゃあ、先生もぼくと手つなご! 『じあい』だもん!」

 ジーク様の清らかですべすべモチモチの手を繋いだまま賛美歌を聴いたあと、私は司教のもとにジーク様をお連れした。司教の案内でステンドグラスを見学するジーク様から少し離れて、私もゆっくりとあとに続く。

 そして私の横を並んで歩くのは。

 ――あの大っ嫌いな護衛騎士だ。


「ラルフ様。大聖堂の外でお待ちいただいても良かったのですけど」
「城外でジーク様から目を離すわけにはいかない。いくら君が新人とは言え、そんなことも分からないレベルだとは思わなかった」
「……ええ、はいはい。大変失礼致しました」


 口を開けば悪態(あくたい)をついてくる不機嫌騎士とは違い、ジーク様は素直に色々と司教に質問しながら大聖堂内を見学している。
 途中で歩くのに疲れたのか、少し愚図ってラルフ様に抱っこを求めていたけれど、ラルフ様はメロメロになってすぐに抱っこした。


「ラルフ、ぼく疲れた。ねむい」
「ジーク様。帰りの馬車でたくさんお昼寝できますよ。もう少しがんばりましょう」


 だんだん不機嫌になるジーク様を抱っこするラルフ様は、こんな場面にも慣れっこのようだ。そりゃ私より長くジーク様と一緒にいるんだから慣れているわよね、なんて言い訳しながら、私はラルフ様のあとを付いて歩いた。
 もうそろそろ正午を告げるベルが鳴るという時間まで目一杯見学し、ジーク様と私たちは大聖堂を出る。

 見送りに出てきてくれた司教に対して、礼儀正しい我が国王陛下はお礼の言葉も欠かさない。眠気を一生懸命我慢しながら、ジーク様はまだまだ小さい手で司教様の手を取って言った。


「司教様、ありがと! ステンドグラス、すごくキレイだったよ!」
「ジーク国王陛下、私の手を握って頂いてありがとうございます。陛下は将来メデル王国を()べる御方です。幼いうちは、まずは自分の周囲の身近な人々に対して慈愛の気持ちを持って接してください。これから陛下が成長するにつれて慈愛の輪が大きく広がり、将来は国中を愛で包むことができる偉大な国王になられるはずです」
「うん、がんばるね!」


 司教様はジーク様の丁寧なごあいさつに感無量と言った様子で、ハンカチで目頭を押さえている。うんうん、分かるよ。健気すぎて泣いちゃいますよね。

 私がジーク様と司教様の微笑ましいやり取りを見て幸せな気持ちになっている横で、不機嫌騎士が腕を組んで不満そうな顔をしている。
 この感動の場面に水を差すのは、本当にやめて欲しいわ。


「ラルフ様。何かご不満でもあるあのですか?」
「ジーク様のあのお言葉遣いはどうした。神に仕える司教様に対して、まるで友人にでも接するように……」
「ジーク様はまだ五歳です。ご身分にふさわしい言葉遣いを、徐々に身に着けていけば良いのですわ」
「教育係としての怠慢(たいまん)か? こうして外にお連れするのならば、それなりのマナーや礼儀を身に着けて頂くようにするのがお前の仕事ではないのか?」


(うわあ……)


 こんな所に来てまでいつものように喧嘩を売ってきたラルフ様に、私は口を尖らせた。こんな言い合いはもちろん初めてではないけれど、まさかメデル神の目と鼻の先、こんな大聖堂の前で喧嘩を売られるとは。
 驚きのあまりに、口元がピクピクしちゃうわ。


「ラルフ様、ちょっとお待ちください。私は私できちんと教育計画も立てております。それに、同僚のことを『お前』呼ばわりするような方に、言葉遣いの注意を受けるなんて心外ですわ」
「話を逸らすな。恥をかくのはお前ではなくジーク様だ。主君に恥をかかせて、何を堂々と言い訳ばかり」
「……なんですって?!」


 私たちが喧嘩上等、今にも取っ組み合いを始めそうな勢いでお互いに向かい合った時――


「先生とラルフ! ケンカしたらダメでしょ!」


 司教様とお話を終えたジーク様が、私とラルフ様の間に割って入る。


「ジーク様、見苦しいところをお見せして申し訳ございません」
「ラルフ、怒ったら先生が泣いちゃうよ! ダメ!」
「……はい、これから気を付けます」


(ぷぷっ! さすがのラルフ様も、ジーク様に注意されたらひとたまりもないじゃないの。しゅんとしちゃって、飼い主に怒られたワンちゃんみたい!)


 ジーク様と目線を合わせるように跪いたラルフ様の頭をヨシヨシと撫でたジーク様は、そのまま私の方に顔を向ける。


「先生も、ダメでしょ!」
「あっ……はい……。申し訳ございませんでした」


 天使に怒られた私に向かって、ラルフ様がニヤリと笑う。
(ちょっと! ジーク様に見られていないからって「ざまぁ見ろ!」みたいな表情しないでくださる?!)


「二人ともケンカはダメ。仲直りのぎゅーは?」
「「へっ?」」
「仲直りの、ぎゅーするの!」


 両手を腰に当て、頬をぷくっと膨らませて無邪気に宣うジーク様。えっと……仲直りの『ぎゅー』ですか? ハグしろってこと? この最低男と?


「ジーク様、大人同士は仲直りのぎゅーはしないのですよ」
「だって、お父様とお母様がケンカしたときは、仲直りのぎゅーしてたよ?」
「それはまた、ちょっと違うケースで……」


 必死で『ぎゅー』を避けようと説得する私たちを見て、ジーク様の目にはみるみる涙が溜まっていく。

 ああ、ジーク様の目の前で言い合いなんかするんじゃなかった。こんな男からの悪口なんて、聞き流しておけば良かっただけなのに!
 しかも、またジーク様に前国王陛下ご夫妻のことを思い出させてしまった。私ったら大人のくせに何をやっているんだろう。

 大粒の涙をポロっとこぼしたジーク様は、私たちに言っても無駄だと思ったのか、うしろにいた司教様の方に向き直る。


「ねえ、司教様。ケンカしたら、ぎゅーだよね?」
「もちろんです! 陛下の仰る通りです。早く、ほらほら、そこのお二人! ぎゅーしてください!」


 ……ちょっと待って、そんな即答ある?!
 司教様まで、ジーク様にメロメロすぎて言いなりじゃないの!