「大丈夫ですか? おケガはないですか?」

 扉の向こうから現れたのは、ラルフ様と同じ騎士服に身を包んだ背の高い男性だった。
 短い銀髪に、切れ長のたれ目。ラルフ様とは対照的に、穏やかで優しい雰囲気の大柄なその人は、私を見つけるやいなやその場に跪く。

「あっ! 私は大丈夫です。膝が汚れてしまいますので、どうぞお止めください」

 慌てておどおどしている私の横から、ラルフ様がその男性に向かって話しかけた。

「どうしたんだ、ロイド。こんな時間に」
「ああ、ラルフ。ヒルデ様がお前に剣の手合わせを頼みたいとのことだ。訓練場に来てくれないか」

 ロイドと呼ばれた男性が口にしたヒルデ様というのはジーク様のお姉様のこと。今年十九歳になられる御方だ。幼くして即位したジーク様の摂政として、この国を束ねていらっしゃる。
 王族という立場の方が、騎士と手合わせをするらしい。
 ヒルデ様のお顔は拝見したことはないものの、あのジーク様のお姉様であれば天使のような美しい方に違いない。きっと剣を振るう姿も、この世のものとは思えない美しさなのだろう。

(私もヒルデ様を一度でいいから見てみたい……!)

「……あの、私もその手合わせを見学させていただいてもよろしいでしょうか?」
「はん?」

(うっわぁ、ラルフ様にものすごく嫌そうな顔された!)

 隣に立っているラルフ様は、口元を歪めて私を見下ろしている。何よ、この不機嫌ドケチ騎士!

「ラルフ。減るものでもなし、手合わせの見学くらいいいじゃないか。レディ、先ほどは急に扉を開けて申し訳ありませんでした。私はロイド・クラインと申します。ヒルデ殿下の護衛騎士をしております。ラルフとは幼馴染でして」
「マリネット・ザカリーと申します。ロイド様、見学をお許し頂きありがとうございます! さあ、早速参りましょう!」

 ラルフ様に見学を断る隙を与えないように、私は急いで厩舎を出た。



 このメデル王国では、騎士になれるのは男性のみだ。周辺諸国では女性騎士もたくさん活躍していると聞くけれど、この国ではまだまだ。
 女だてらに剣を握るなんて、その辺の貴族令嬢が同じことをしようものなら社交界の顰蹙(ひんしゅく)を買うだろう。

(そんな国で、王女殿下自らが剣を持って騎士と手合わせをするなんて。素敵すぎる!)

 輝くばかりの白い肌に碧い瞳、艶やかなブロンドヘアを頭の高い位置で一つにまとめて颯爽(さっそう)と現れたヒルデ殿下は、ジーク様と同様に絵画から飛び出してきたような美しさだった。
 ロイド・クライン様が跪いて両手で木剣を手渡すと、ヒルデ殿下は剣を取り、空を数回切って感触を確かめる。
 訓練場の中には、手合わせの準備を整えたラルフ様。

「危ないからその柵からこっちにくるなよ!」

 いつものように不機嫌な表情で私に叫んだあと、何とびっくり、ヒルデ様には穏やかに微笑んでいる。心なしか、二人の距離も相当近い。

(――何よあれ、私に対する態度と全く違うじゃないの!)

「マリネット嬢。その口はどうしましたか?」
「あっ! ロイド様、失礼致しました。開いた口が塞がらないとは、このことを言うのですね」

 思わず両手で自分の顎を持ちあげて口を閉じた私を見て、ロイド様は元々細い目をもっと細くして笑いを(こら)えている。

 訓練場の中では、ヒルデ様とラルフ様の手合わせが始まった。木剣同士のぶつかり合う鈍い音が、カンカンとあたりに響く。
 ヒルデ様も剣の扱いに慣れていらっしゃるようだ。想像していたよりも動きが早く迫力ある手合わせに、私は柵から身を乗り出して見入ってしまった。

「……お二人ともすごい! 格好良いですね!」
「私とラルフだけではなく、ヒルデ様も幼馴染なんですよ。少し年が離れていますので、私とラルフの妹のような存在です。昔からこうしてよく一緒に練習をしていました」
「そうなのですね。女性であそこまで剣が使えるなんて、とても素敵です」

(とは言え、ラルフ様は相当手加減してそうだけどね。ヒルデ様と違って、汗一つかいてないもの)

――カラン
と音を立てて、ヒルデ様の持つ木剣が地面に転がる。二人は一瞬の間のあと、お互いに顔を見合わせてニッコリと笑った。
(まただ……。アイツ、不機嫌な顔して失礼なこと言うの、私にだけなのかしら)

 私が口を尖らせていると、またロイド様がプッと吹き出した。

「……口を開けたり尖らせたり、マリネット嬢は面白い方ですね。アイツ、嫌なやつですよね。マリネット嬢にいつも失礼なことをしていませんか?」
「残念ながら、失礼なことしかされていませんね」
「アイツはどうも顔が怖いのでね。特に女性には。子供の頃はもう少し可愛らしくて泣き虫だったのに、今ではすっかり強くなって、陛下の教育係兼護衛騎士に抜擢される程なのに」

 ロイド様はラルフ様たちの方を見て微笑み、柵に手をかける。
 視線を感じたのか、ヒルデ様も顔をこちらに向けてふんわりと微笑み返した。

「ロイド様。ラルフ様が泣き虫で可愛らしかったとか、私はとてもじゃないけど信じられないです」
「私もいまだに信じられないですよ。ラルフが十歳くらいの時だったと思うのですが、ヒルデ様から『ラルフは弱い』ってバカにされたんですよね。そこから人が変わったように努力して、今ではああです」

(何それ。『弱い』って言われるのがコンプレックスなのかしら?)

 自分が弱かったから、ヒルデ様のような強い女性がお好みとか? 何だかよくわからないけど、ラルフ様の弱みを握れたような気がする!

(……あら、私って意地悪ね。人の過去の傷に付け込むなんて、絶対にダメだわ。あんなヤツ、相手にしないことに決めたのに)

 地面に落ちた木剣を棚に戻し、ラルフ様は汗を拭くための布をヒルデ様に手渡した。
 絵画から飛び出したような美しさのヒルデ様と、メデル王国始まって以来の絶世の美女リーリエ様の血を引くラルフ様。

(美しすぎる光景じゃないの……)

 訓練を終えて汗を拭きながら談笑しているだけの場面のはずなのに、二人の姿は美しすぎて、時を忘れるほど見入ってしまった。