ヒルデ様の許可をもらい、私とラルフ様はシャドラン卿が幽閉されている部屋の前にやって来た。現段階では罪が確定したわけではないので、彼は牢などではなく普通の客間で過ごしている。

 部屋の外には数名の騎士が見張りに立っていた。中にも何人か見張りが配置されているそうだ。このまま私がシャドラン卿との面会のために客間に入ったとしたら、私たちの話は見ず知らずの騎士達に筒抜けになるだろう。
せっかくシャドラン卿と向かい合う決心をしてここまでやって来たのに、部屋の前で躊躇して足が止まってしまった。

「マリネット、どうした? 部屋に入らないのか?」
「入ります。入りますよ……」

ラルフ様には、私の情けない姿を見られたくない。ガタガタと震える足を見下ろして、私は息を整えて強がった。

(シャドラン卿と二人きりになる方がよっぽど怖いのだから、このまま行くしかないわ!)

心を決めて扉に手をかけると、その上からラルフ様の手が重なる。
驚いて手を引っ込める私に、ラルフ様はいつもと変わらぬ不機嫌な顔で言った。

「俺の職業を知らないのか?」
「は? 急に何です?」
「俺は騎士だぞ。部屋の中にいる騎士と、俺が見張りを交代すればいい。その方が良いだろう?」
「あっ……」

 どうしてこの人は、私が考えていることが分かるんだろう。
 私が何を不安に思っているのか、言葉にしなくても全て分かってくれる。そして、一番欲しい助け船を出してくれた。
私が無言のままラルフ様を見つめていると、彼は照れ隠しに何度も咳払いをする。

 人を想う、というのはこういうことを言うのかもしれない。
 ラルフ様からの突然のプロポーズに戸惑ったけれど、彼のプロポーズはシャドラン卿のプロポーズは全く違う。
 口先だけじゃなくて、この人は私のことをちゃんと見てくれている。私が目の前の問題から逃げずに、立ち向かう強さを応援してくれる。

 私は意を決し、もう一度扉に手をかけて中に入った。



 ラルフ様が声をかけ、見張りの騎士たちが外に出て行った。
 代わりにラルフ様が扉の傍に立ち、私は窓際に立って外を見ているシャドラン卿の方におずおずと近付いた。気配に振り返ったシャドラン卿は、口元を引きつらせながら笑顔を作る。

「……マリネット。まさかこんな所に君が現れるとは。もしや君が、嘘を並べ立てて私をこんな目にあわせたんじゃないだろうね」
「シャドラン卿。突然の訪問、失礼致しました。嘘を並べ立てるとは一体何の話でしょう、私には心当たりがございません」
「まあ、いい。何か話したいことがあるんだろう? 聞こうじゃないか」

 部屋の中央にあったテーブルについたシャドラン卿は、私を思い切り睨みつけた。私はテーブルを挟んで彼の向かいに座る。

「前の国王陛下の事故のことを、ヒルデ様から聞きました。その場に駆けつけたのに、陛下を助けることなく去ったというのは本当なのですか?」
「なぜそんなことを君が私に聞くんだ? 君には全く関係のない話だ」
「いいえ。貴方がもし、私との婚約破棄の事実を有耶無耶にすることを優先して、陛下をお助けしなかったんだとしたら、私にも大いに関係のあることです」
「君との婚約破棄? 先日伝えたはずだ。私は君に結婚を申し込んだこともないし、婚約の事実を示す書類など存在するわけがない。君が私に横恋慕して、ジュリアとの結婚を邪魔しようとしただけじゃないか」

 扉の傍で、ラルフ様が怒りに肩を震わせているのが分かる。私はラルフ様に少しだけ視線を向け、大丈夫だと目配せした。

「シャドラン卿。私は当時、貴方のことをお慕いしていました。遠く辺境の地に嫁ぎ、愛する人を支えて生きていく覚悟をしていました。貴方も私のことを愛してくれていると信じていたのです」
「君はバカなのか? 私が夜会で『愛している』なんて言った言葉を信じたのか?」
「あの頃の私は、貴方の言葉を心から信じていました。だから、あんな形で突然婚約破棄を言い渡されて悲しかったのです。教えてください。貴方の方は私のことをどう思ってらっしゃったのですか?」

シャドラン卿は俯いて顔に手を当て、肩を震わせながら笑いを堪えている。

「……マリネット。そんなどうでもいい話をしに、わざわざこんな所まで私に会いに来たのか? 本当に君はバカだな。君と結婚しなくて良かったよ!」
「結婚しなくて良かった……ですか」
「その通りだ! ヴェルナーを失脚させるために、せっかくザカリー伯爵家に手を差し伸べてやったのに。たった十六歳の小娘に、あんなにあっさりと断られるとは思わなかったよ。そもそもザカリー家に声をかけたのは、伯爵の地位を利用してやろうと思ったからだ。お前のことを愛してなどいるわけないだろう!」

 聞くに堪えない暴言を吐き、シャドラン卿はテーブルの上にあったティーセットを床にぶちまける。床や壁に投げつけられたカップやソーサーが、大きな音を立てて粉々に割れた。

「わざわざ辺境の地まで嫁いでいったのに、目の前で婚約破棄されて希望を打ち砕かれる気持ちはどうだったんだ、マリネット。それと同じ気持ちを俺にも味わせようとしたんだろう? こんな目前まで来て、ヴィアラとジーク陛下の婚約を取り消して楽しかったか? それがお前の復讐か?!」
「違うわ!」

 私はその場に立ち上がって叫んだ。

「私は貴方に対しても何も恥ずかしいことをしていない。貴方のことをお慕いしていたし、妻として支えていこうと思ってた。今回のヴィアラ様との婚約取消の件だって、私から過去のことをほじくり返してヒルデ様に伝えたりもしてないわ。私はどこの誰に対しても、恥ずかしい生き方はしていません! でも貴方は私と違って、他人に胸を張って誇れるような生き方をしてこなかったのね。そんな貴方の不誠実な行いの積み重ねが、ヴィアラ様の婚約破棄に繋がったのよ!」
「……貴様ァッ! マリネット!」

 逆上したシャドラン卿は、テーブルの上に登ってこちらに飛び掛かってきた。
 髪を掴まれ、頬を殴られそうになった瞬間――鈍い大きな音と共に、シャドラン卿の体が宙に浮いて床に転げ落ちる。
 割れたティーカップの上に倒れたシャドラン卿は、背中から血を流しながら情けない悲鳴を上げた。

 そして私の目の前には、今まさにシャドラン卿を殴り飛ばしたラルフ様が立っていた。