ヒルデ様は、フリードル公爵家のジュリア様がシャドラン卿との子をご出産された時のことから話し始めた。私がシャドラン卿に婚約破棄された、あの悪夢の日から数か月後のことだ。

 その頃ちょうどシャドラン卿の領地近くを視察で訪れていた前国王陛下の元に、フリードル公爵の孫が誕生したという噂が流れて来た。

国王陛下はその知らせを聞いて驚いた。
 シャドラン卿の婚約者は、ジュリア・フリードル公爵令嬢ではなかったはず。公爵家からの正式な報告もないまま、孫誕生というおめでたい話を噂で聞くのもおかしな話だ。
不思議に思った国王陛下は視察の帰りに、ジュリア様が滞在するシャドラン卿の領地に立ち寄った。国王陛下が直接領地を訪問するなど、シャドラン卿にとっては寝耳に水の一大事だったはずだ。

 ザカリー家との婚約破棄が明るみに出て悪評が立つのは困る。シャドラン卿は少し時間をおいてほとぼりが冷めてから、国王陛下にフリードル公爵家との婚姻の報告をしようとしていたそうだ。医師の多い王都ではなく、わざわざ辺境の地でジュリア様のご出産を迎えられたのも、そのためだった。

 シャドラン卿は私との婚約破棄について、何とか白を切って乗り切ろうとしたが、国王陛下に対して誤魔化しは効かなかった。陛下は王都からシャドラン家とザカリー家の婚約証明の書類を取り寄せ、シャドラン卿に詰め寄った。
 そして、「王都に戻ってからそれなりの処分を下す」とシャドラン卿に伝えたのだ。

 ――そして、その王都への帰り道。
国王陛下ご夫妻が乗った馬車は、崖から転落するという事故に遭った。


(まさか、シャドラン卿が事故に見せかけて国王陛下を……)

 淡々と語るヒルデ様の言葉を聞き、胸の奥から不穏な気持ちが込み上げる。
私の内心を察したのか、ヒルデ様は私を安心させるようににっこりと微笑んだ。


「確かに、シャドラン卿は国王陛下のお言葉に危機感を覚えたでしょうね。でも彼が国王陛下を故意に事故に遭わせたことを示す証拠はないのよ」

ヒルデ様は話を続ける。
 
当時の王都ではフリードル公爵の力は弱く、クライン公爵家やヴェルナー侯爵家が台頭していた。彼らを追い落とそうと考えたシャドラン卿は、我がザカリー家と婚姻関係を結び、ヴェルナーへの対抗勢力として結束しようとした。
ザカリー家がその話に乗ってこないと見たシャドラン卿は、今度はフリードル公爵家に取り入ろうと乗り換えたのだろう。

 ヒルデ様の話を一通り聞いて、私は少なからず理解した。

 シャドラン卿は初めから、私のことなどつゆほども愛していなかったのだ。

 少しは愛されていると信じていたからこそ、彼に裏切られたことが辛かった。自暴自棄になって男性恐怖症にまでなった。
それなのに、そもそも初めから愛されてもいなかったなんて、とんだ皮肉だ。

(私は何のために何年も引きこもっていたのかな)

 傷ついた自分の心の置き場所が突然失くなってしまったような気がして、胸が苦しくなった。

「ヒルデ様。これからシャドラン卿はどうなるのでしょうか。故意に事故を起こした証拠がないのなら、このまま領地に戻されて終わりでしょうか」
「いいえ。シャドラン卿は国王陛下の事故の知らせを聞いてすぐに現場に駆け付けたのに、陛下をお助けするよりも先に、マリネットとの婚約証明の書類を探してこっそり持ち帰ったそうよ。陛下の命を前にして、自分の保身を考えて証拠隠滅を優先した。これは許されることではないわ」
「それでは……」
「私たちは、ジークとヴィアラ・シャドラン嬢の婚約内定を取り消した。前・国王陛下をお守りすべきところで何もしなかったという、シャドラン卿の不敬を理由にね。領地なんてもちろん全て没収よ。これから彼のことをしっかりと取り調べさせてもらうために、今はこの城に幽閉しているわ」

前国王陛下の事故の話をするのは、ヒルデ様ご自身も辛いに違いない。それなのにヒルデ様は強く毅然とした態度で、真実を明らかにしようとしている。

(――私も負けていられないわ。しっかりしなくちゃ)

 シャドラン卿は、まだこの城にいる。
 彼を怖がって逃げ続けてはいけない。このまま終わらせてはいけない。
私はもう一度、シャドラン卿と向き合わなければならない。

 ふと横を見ると、ラルフ様と目が合った。
彼は私の心を見透かしたかのように一言、「さあ、会いに行くか」と言った。


「……はい、行きます」
「俺も一緒に行く。何かあったら助けるから、安心して話をして来い」

 私はラルフ様に向かって小さく頷き、シャドラン卿が軟禁されているという城の一室に向かった。