「……私が間違ってた」

 見慣れた自室の天井を眺めながら、私は声に出して呟いた。
 フランツ・シャドラン辺境伯に待ち伏せされて、脅迫されて、挙句の果てに手の甲に直接キスをされてしまった。

(なんで手袋しておかなかったんだろう……)

 今日はちょうど休日で、ジーク様とのお勉強も何もない日。久しぶりに書庫にこもって一日中読書にふけろうと、張り切って早朝から出かけたのがまずかった。
 そもそも私が今日休日になったのは、ジーク様がヴィアラ様と一緒に過ごす日だからだ。
 ヴィアラ様に同行して、フランツ様やジュリア様も王城に滞在してらっしゃるのだと、よく考えれば予測できたはずだった。

 ああしておけば良かったこうしておけば良かったと、頭の中を後悔がぐるぐると回って、ますます気分が悪くなって起き上がれない。
 心配して様子を見に来てくれたリズは、そんな私の顔色を見て心配が増したようだった。

「マリネット、目が覚めた? 貴女って本当によく倒れるわよね。何か大きな病気とかでも……?」
「リズ……」
「あ、ごめんなさい! もし大きな病気だったら、教育係なんて引き受けないわよね。変なこと言ってごめん……」
「いいえ、心配をかけてごめんなさい。ある意味、大きな病気かもしれない。教育係なんて引き受けてはダメだったのかも」

 この国で貴族の娘が結婚もせず一人で生きていくのは、かなり厳しい茨の道。領地に引っ込んで細々と独り暮らしをするために、お金に目が眩んだ私がいけなかった。
 ジーク様の教育係なんていう責任あるポジションを、こんな状態で引き受けてはいけなかった。
 今更ながら、自分の甘さに気付いて涙が止まらなくなった。

「マリネット……泣かないで」
「ごめん、リズ。なんかもう自分が情けなくて。私が全ていけなかったのよ。必死で何年も勉強していたから、慢心してたのね。私こそジーク様の教育係にふさわしいなんて、そんなの私の自己満足だったわ」
「そんなことない、マリネットは頑張ってる。ジーク様だってマリネットのことをとても気に入っているし、実際にこの数か月でジーク様の言葉遣いも立ち居振る舞いもすごく素敵になった。マリネットの努力の成果じゃないの」

 リズの言う通り、少しでもジーク様のお役に立てたことがあるなら、私の心の荷も少しは軽くなる。そうでなければ、私がここに来た意味がゼロになってしまうから。
 これからは、フランツ様と顔を合わせる機会も増えるだろう。
 遅かれ早かれ私の事情は詳らかにされ、教育係を追われることになる。

 離れるならば、早い方がいい。

 私がいなければ、フランツ様もジュリア様も気兼ねなく王城に来ることができる。ジーク様はヴィアラ様のことを気に入ってらっしゃるから、フランツ様と私の過去の婚約破棄のことさえなければ、この縁談には何も問題がないはずだ。私が去ればそれで済む。私がジーク様の幸せに水を差すわけにはいかない。


「ごめんね、リズ」
「いいのよ。もし本当に病気なんだったら、少し休んだ方がいいわ。しばらくはコーラさんに代わってもらって、治してから復帰すればいいじゃない。ね?」
「ありがとう」
「そうだ、今日も貴女の愛しの君が、倒れたところを見つけて運んでくれたんだからね。御礼を言っておきなさいよ」


(……まただ。また、ラルフ様が助けてくれたんだ)

 今までラルフ様に曖昧なお返事しかしていなかったけれど、このまま私が彼を振り回し続けるのは良くない。
 一度はっきりと、ラルフ様に気持ちを伝えよう。

 私はうつ伏せになって枕に頭を埋め、大きく息を吐いた。