「ジーク国王陛下、お会いできて光栄でございます」

 私が自分の全品性を総動員してご挨拶をする横で、ガチガチに緊張したお父様が棒のように立ち尽くしている。

 それもそうよね。
 お父様のような要職にも就かないザ・普通の貴族が国王陛下に直々にご挨拶する場など、これまでほとんどなかったのだから。
 それにしても汗がヒドイわ、お父様。

 お辞儀を終えた私が顔を上げると目の前に立っていたのは、天使の微笑みをたたえた、まるで絵画のように美しい少年。
 人を疑ったことなど一度もなさそうな純粋無垢な瞳は、私をしっかりと見つめている。

「ねえ、マリネットせんせいっていうの?」
「はい、国王陛下。私はマリネット・ザカリーと申します。これから一緒にたくさんお勉強いたしましょう」
「うん、いいよー。いっぱい絵本よんでくれる?」

(ううっ。陛下が可愛すぎて、直視すると目が、目がぁっ!)
 
 白く滑らかな肌、サラリとした金髪に珠のような碧い瞳。透き通るような高く美しい声は、まるで教会で聴く賛美歌の調べ。
 御年(おんとし)五歳のジーク・メデルラント陛下は、うちの悪ガキのイリスとは格が違うということを、まざまざと見せつけられた気分よ。

「国王陛下、心を尽くしてお仕え致します」

 精一杯堂々と答えたけれど、どことなく私の声は緊張で震えている。これほどまでに神々しいオーラの陛下にお仕えできるなんて、恐れ多いったらありゃしない。

 簡単なご挨拶と自己紹介のあと、私は侍女長から一緒に働く同僚たちの紹介を受けるため、別室に案内された。
 本当を言うと、同僚たちの紹介を受ける前にもっと色々聞きたいことがあったのに。将来頂ける年金額の試算や休暇制度、何時まで働いたら時間外手当が支給されるのか……っと、いけない! また自分の老後の生活のことばかり気にしてしまった。

 ふと隣にいるお父様を見ると、緊張していたせいかまだ目を回している。

「お父様、ちょっと緊張しすぎでは?」
「マリネットこそ、陛下を見てヨダレを垂らすなんて……恥ずかしい」
「えっ? ヨダレ垂れてました?」

 急いで手鏡を出してヨダレの跡が顔に付いていないかチェックしていると、先ほどこの部屋に案内してくれた侍女長が扉を開けた。

(おっとと、鏡をしまわなくちゃ!)

「マリネット・ザカリー先生、国王陛下直属の同僚をご紹介いたしますね」

 私が急いで立ち上がると、侍女長の案内で私の少し年上くらいの女性と、騎士服に身を包んだ若い男性が入ってきた。
 女性の方がにこやかで柔らかい雰囲気なのに対し、男性の方は目つきも鋭く威圧感をまとっている。
 うわぁ、こんな男性と一緒に働かないといけないのか。いつも不機嫌にしてるんだろうな。気が重い。

(嫌ですね、お父様……って、お父様どうなさったの?!)

 隣に立つお父様の方に目をやると、顔面蒼白、冷や汗をかいてガタガタと震えている。どうしたの? もしかして、この不機嫌騎士のこと怖くなっちゃった?

「マリネット先生、こちらの女性は陛下の乳母をしておりましたコーラ・モリス様でございます。先生の上役にあたりますので、教育のことで何かご相談があればコーラ様へ」
「コーラ・モリスと申します。マリネット先生、どうぞ私のことはコーラとお呼びください。年も近いので、仲良くしてくださいね」
「コーラ様、どうぞよろしくお願いいたします。マリネット・ザカリーと申します」

(ねえ、お父様! 挨拶始まってるのに、ピクリとも動かないけど大丈夫?)

 お父様が突然体調を崩したのではないかとヒヤヒヤしながら、私は陛下の乳母コーラ様への挨拶を終えた。
 そしていよいよ、あの不機嫌騎士の方に向き直る。

「そしてこちらが、陛下のもう一人の教育係兼護衛騎士として剣術や護身術などを教えております……」
「ラルフ・ヴェルナーと申します」
「マリネット・ザカリーと申します。よろしくお願いいたします、ラルフ・ヴェルナー様。……ヴェルナーさま……ヴェル……ナァッ?!」

 ついつい変な声が漏れてしまい、慌てて自分の口を押さえる。
 だって、この見るからに不機嫌で感じの悪い護衛騎士の名前、ラルフ・ヴェルナーだというのだ。
 ヴェルナーと言えば、例のアレ。

 我がザカリー家の宿敵ですよね?!

(……お父様っ!)
(マリネット、きっとアイツだ。憎きヴェルナーの孫息子だ)

 小さな声でコソコソと話す私とお父様に、宿敵ヴェルナーの孫息子は冷たい視線のまま大きくため息をついた。

「随分と失礼な挨拶だと思ったらザカリー家の方ですか。これから国王陛下の教育係としてペアを組むのです。しっかりして頂かないと。先が思いやられますね」

 ……言ってくれるじゃないの。
 不機嫌顔の宿敵ヴェルナーめ。貴方みたいな辛気臭(しんきくさ)い顔が、あの天使のような国王陛下の周りにいるだけで、陛下が(けが)れるわよっ!

「ラルフ・ヴェルナー様。大変失礼を致しました。わたくしは由緒あるザカリー伯爵家の一員として、心を尽くして国王陛下にお仕えするつもりですのでご心配なく。メデルラント王立学園を首席で卒業をし、きちんと学問も修めております」

(……通信制コース卒だけど)

「ろくに政事(せいじ)にも関わっていないザカリー家の方がどれだけ力になれるのかは知りませんが、陛下に恥をかかせることだけはないようにお願いします。皆そのつもりで気を引き締めて任務に臨んでいますから、新人だからと甘えないように」
「……重要な任務につくことができて本当に嬉しいですわ。それに陛下の周りにいるのがヴェルナー様だけでは、陛下の脳みそが筋肉に変わってしまいそうですものね。教育係が二名体制になって本当に良かったです」

 私たち二人はお互いににらみ合い、春の陽気でポカポカだったはずの部屋に一気に猛吹雪(ブリザード)が吹き荒れる。

(信じられない! お祖父様もお父様も、いつまで昔の話を持ち出してヴェルナーと敵対してるのよってうんざりしてたけど、孫の代まで本当に嫌な奴なのね!)

 ラルフ・ヴェルナーを睨みつけていると、ヤツが片方の口の端を上げてフッと笑った。

「なんでしょう?」
「いや。昨今のご令嬢というのは、口元にヨダレの跡を付けるのが流行りなのですか?」
「――?!」

 もう、こんなやつ本当に本当に大っ嫌い!
 絶対私の方が陛下に気に入られて、将来は年金がっぽりもらってやるんだから!