二人で手を取り合い、音楽に合わせてステップを踏む。たったそれだけのことなのに。
「――腰が限界よぉっ!」
庭園のベンチに突っ伏して、私は悲痛な叫びを上げた。
午前中を目一杯使って、ジーク様と民族舞踊の練習をし、やっと訪れた休憩。
ジーク様は昼食とお昼寝へ。私にとっては唯一の自由時間なのに。
(せっかくの休憩が……! 腰が痛くて動けず、無念っ!)
「マリネット、ご愁傷様。まさか明日もその腰で踊るの?」
背中の方から聴こえた声に首だけ振り返ると、ジーク様の侍女のリズがにこにことしながら立っている。そうよね、この若さで腰が痛くて倒れてるなんて滑稽よね。
でも、ジーク様の教育計画を止めるわけにはいかない。婚約者選びのお茶会まであと一週間。ジーク様には申し訳ないけど、ラストスパートで色々と予定を詰め込みまくらないといけないのだ!
「リズ、笑いごとじゃないのよ。何時間も腰をかがめて踊ってみなさいよ。あなたも同じ目に合うんだから」
「ふふ、無理しないでね。そうだ、ラルフ様がお話があるんですって。ここに呼んできてもいい?」
「……どちらかというと、嫌だわ」
ベンチに突っ伏して、リズに顔が見えないのをいいことに、私は大人気なく唇を尖らせた。
(こんな情けない姿を見られたら、絶対嫌味を言われるわよ。それにラルフ様から話があるなんて、一体なんだろう。また手を繋ぐ練習だなんて言わないわよね?)
数週間前、食堂でロイド様に手を触られて失神した時、私は改めて決意した。もう、絶対に男性と手なんか繋がない。触れることもしない。
立派にジーク様をお育てしたら高額の年金を頂いて、おひとりさまでゆっくりと暮らすんだ。
「リズ。悪いけど、私絶対にラルフ様には会いたくないから連れてこないで。一人にして」
「…………絶対に会いたくないところに押しかけて悪かったな」
(――?!)
「ラルフ様っ?! っと、痛っ!痛たたた……」
たった今会いたくないと言ったラルフ様張本人の声に振り向いて、腰を思い切りひねってしまった。
「大丈夫か?」
「……大丈夫です。よっこいしょ」
何とか立ち上がってベンチに座り、支えてくれたラルフ様の手を放した。
……ん? 手を、放した?
「ぎゃあぁぁっ!!」
(やだ! どさくさに紛れて、ラルフ様の手をつかんじゃってたわ! 落ち着いてマリネット。息をするのよ!)
「大丈夫だ、今も手袋をしているから」
「あ、そうですか……良かったです。ありがとうございます」
さすがこの人は、私と手を繋ぐ練習をしただけのことはある。私のことよく分かってるわ。
隣に座ったラルフ様との距離はこの前みたいに近かったけど、不思議と前ほどは緊張しない。手袋があれば大丈夫だっていうことが分かったからかもしれないけれど。
「ところでお話とはなんですか?」
「ああ、えっと、ジーク様の教育は順調か?」
「見ての通り満身創痍ですが、教育自体は順調です」
この人は、わざわざ腰を痛めた同僚をベンチに座らせてまで、こんなことを聞きたいのだろうか。私がこの任務に失敗すれば、憎きザカリー家の者を自分の目の前から排除できるチャンスだというのに。
(……ん? 待って。もしかして、私がこの任務に失敗するように仕向ける気?)
一瞬そう考えてラルフ様を疑ってみる。
だけど、彼のジーク様への忠誠心を考えれば的外れな疑いだ。だって彼は、ジーク様に恥をかかせることは絶対に許せないはずだもの。私が失敗しようと成功しようと、興味はないだろうけど。
つまり今回の任務に対しては、彼は私の味方ということになる。でもそれなら、ますます何の用事なのか分からない。
「ラルフ様、お話というのはそれだけですか?」
「いや、あぁっと、うむ」
「なんですか? すごく気持ち悪いです。早く仰って下さい」
「その……君には妹がいたな」
「妹? ええ、はい。六歳になる妹がおりますが」
「そうか。きっと妹君は美しくて、賢くて、品のあるご令嬢なんだよな?」
(…………はい? )
「えっと……私の妹のイリスが、ですか?」
「そうだ。君の妹のイリス嬢がとても、その……『婚約者』にふさわしいのではないかと思ってな」
(ちょっとお待ちになってくださいます?)
イリスが、婚約者にふさわしい、とは?
……ラルフ様、結婚するの?
とりあえず落ち着いて、一度立ち止まっていただきたい。
イリスはまだ六歳。それに比べて、ラルフ様は二十二歳ですよね?
【ロリータ・コンプレックス】[名詞]幼女・少女にのみ抱く恋愛感情のこと。または、その感情を持つ者。[略]ロリコン。
思わず自分の頭の中の辞書で検索してしまったけれど、もしかしてラルフ様はそっち系なのだろうか?
私は腰の痛みも忘れ、両手指をこめかみに当てて考えた。
――振り返ると、思い当たる節がないわけではない。
あの可愛くて天使のようなジーク様に狂おしいまでの忠誠心を見せるのも、ちょっと異常だなと思っていた。まあ、ジーク様は男の子だけど。
侯爵家の嫡男ともあろう方が二十二歳になっても婚約者がいないのも、そういう趣味の方だと思えば頷ける。
挙句の果てにこの人は、私にイリスのことを尋ねるためにわざわざ人払いをしたのだ。他人に知られたくない趣味に対する後ろめたさからの行動では?
(間違いない! 絶対そうだわ! ラルフ様は、少年少女にのみ興味を持つという、特殊趣味の方なのね?!)
知ってしまったからには、このまま何もしないわけにはいかない。彼に幼女・少女を近付けないように、できるだけ見張っておかなければ。イリスを紹介しろなんてとんでもない! あのおませな悪ガキも、一応私の愛する妹だ。死ぬ気で断ろう。
(……っ、そうだ! 来週のお茶会はどうするの?)
来週はジーク様の婚約者選びのお茶会があるのだと思い出し、私は絶望して思わず天を仰いだ。ああ、メデルの神様。全国の少年少女たちを、彼から救いたまえ。
「何を百面相しているんだ?」
「え?! そ、そそそんなことありませんよ! あっと、そうだ! ラルフ様、来週のお茶会のことなんですが」
「ああ、その話もしたかったんだ」
(くぅっ、この変態め! やっぱりお茶会を狙っていたんだわ。勝手に行動できないように、私が一日中見張らなきゃ!)
「ジーク様が先入観なくご令嬢たちを接することができるように、私たちは少し離れたところから見守りませんか?」
「離れたところで……? いや、できれば近くで見守ってあげた方がいいんじゃないか? ほら、もしかしたらマリネットの身内も候補者に入っているかもしれないじゃないか」
(婚約者候補のリストを見せていただけないとはいえ、伯爵家の令嬢を招かないわけはない。ラルフ様の言う通り、きっとうちのイリスも候補者リストに入っている。それを近くで見守るだなんて……イリスに手出しをする気満々じゃないの!)
ラルフ様がジーク様の婚約者候補に手を出したなんて知れたら、きっと大問題だ。ヴェルナー家の信用が地に落ちるのと同時に、彼を止められなかった私も確実に解雇が待っている。
将来の年金もなし、安定した職にも就けない。
優雅なおひとりさま生活は、夢のまた夢。
この男のロリコン趣味のせいで私の将来の計画は水の泡だ。ラルフ様がイリスに手を出して、死なばもろともルートなんて、絶対に避けなければいけない。
――お茶会当日は、ラルフ様がイリスに手を出さないように見張るわよ!
「――腰が限界よぉっ!」
庭園のベンチに突っ伏して、私は悲痛な叫びを上げた。
午前中を目一杯使って、ジーク様と民族舞踊の練習をし、やっと訪れた休憩。
ジーク様は昼食とお昼寝へ。私にとっては唯一の自由時間なのに。
(せっかくの休憩が……! 腰が痛くて動けず、無念っ!)
「マリネット、ご愁傷様。まさか明日もその腰で踊るの?」
背中の方から聴こえた声に首だけ振り返ると、ジーク様の侍女のリズがにこにことしながら立っている。そうよね、この若さで腰が痛くて倒れてるなんて滑稽よね。
でも、ジーク様の教育計画を止めるわけにはいかない。婚約者選びのお茶会まであと一週間。ジーク様には申し訳ないけど、ラストスパートで色々と予定を詰め込みまくらないといけないのだ!
「リズ、笑いごとじゃないのよ。何時間も腰をかがめて踊ってみなさいよ。あなたも同じ目に合うんだから」
「ふふ、無理しないでね。そうだ、ラルフ様がお話があるんですって。ここに呼んできてもいい?」
「……どちらかというと、嫌だわ」
ベンチに突っ伏して、リズに顔が見えないのをいいことに、私は大人気なく唇を尖らせた。
(こんな情けない姿を見られたら、絶対嫌味を言われるわよ。それにラルフ様から話があるなんて、一体なんだろう。また手を繋ぐ練習だなんて言わないわよね?)
数週間前、食堂でロイド様に手を触られて失神した時、私は改めて決意した。もう、絶対に男性と手なんか繋がない。触れることもしない。
立派にジーク様をお育てしたら高額の年金を頂いて、おひとりさまでゆっくりと暮らすんだ。
「リズ。悪いけど、私絶対にラルフ様には会いたくないから連れてこないで。一人にして」
「…………絶対に会いたくないところに押しかけて悪かったな」
(――?!)
「ラルフ様っ?! っと、痛っ!痛たたた……」
たった今会いたくないと言ったラルフ様張本人の声に振り向いて、腰を思い切りひねってしまった。
「大丈夫か?」
「……大丈夫です。よっこいしょ」
何とか立ち上がってベンチに座り、支えてくれたラルフ様の手を放した。
……ん? 手を、放した?
「ぎゃあぁぁっ!!」
(やだ! どさくさに紛れて、ラルフ様の手をつかんじゃってたわ! 落ち着いてマリネット。息をするのよ!)
「大丈夫だ、今も手袋をしているから」
「あ、そうですか……良かったです。ありがとうございます」
さすがこの人は、私と手を繋ぐ練習をしただけのことはある。私のことよく分かってるわ。
隣に座ったラルフ様との距離はこの前みたいに近かったけど、不思議と前ほどは緊張しない。手袋があれば大丈夫だっていうことが分かったからかもしれないけれど。
「ところでお話とはなんですか?」
「ああ、えっと、ジーク様の教育は順調か?」
「見ての通り満身創痍ですが、教育自体は順調です」
この人は、わざわざ腰を痛めた同僚をベンチに座らせてまで、こんなことを聞きたいのだろうか。私がこの任務に失敗すれば、憎きザカリー家の者を自分の目の前から排除できるチャンスだというのに。
(……ん? 待って。もしかして、私がこの任務に失敗するように仕向ける気?)
一瞬そう考えてラルフ様を疑ってみる。
だけど、彼のジーク様への忠誠心を考えれば的外れな疑いだ。だって彼は、ジーク様に恥をかかせることは絶対に許せないはずだもの。私が失敗しようと成功しようと、興味はないだろうけど。
つまり今回の任務に対しては、彼は私の味方ということになる。でもそれなら、ますます何の用事なのか分からない。
「ラルフ様、お話というのはそれだけですか?」
「いや、あぁっと、うむ」
「なんですか? すごく気持ち悪いです。早く仰って下さい」
「その……君には妹がいたな」
「妹? ええ、はい。六歳になる妹がおりますが」
「そうか。きっと妹君は美しくて、賢くて、品のあるご令嬢なんだよな?」
(…………はい? )
「えっと……私の妹のイリスが、ですか?」
「そうだ。君の妹のイリス嬢がとても、その……『婚約者』にふさわしいのではないかと思ってな」
(ちょっとお待ちになってくださいます?)
イリスが、婚約者にふさわしい、とは?
……ラルフ様、結婚するの?
とりあえず落ち着いて、一度立ち止まっていただきたい。
イリスはまだ六歳。それに比べて、ラルフ様は二十二歳ですよね?
【ロリータ・コンプレックス】[名詞]幼女・少女にのみ抱く恋愛感情のこと。または、その感情を持つ者。[略]ロリコン。
思わず自分の頭の中の辞書で検索してしまったけれど、もしかしてラルフ様はそっち系なのだろうか?
私は腰の痛みも忘れ、両手指をこめかみに当てて考えた。
――振り返ると、思い当たる節がないわけではない。
あの可愛くて天使のようなジーク様に狂おしいまでの忠誠心を見せるのも、ちょっと異常だなと思っていた。まあ、ジーク様は男の子だけど。
侯爵家の嫡男ともあろう方が二十二歳になっても婚約者がいないのも、そういう趣味の方だと思えば頷ける。
挙句の果てにこの人は、私にイリスのことを尋ねるためにわざわざ人払いをしたのだ。他人に知られたくない趣味に対する後ろめたさからの行動では?
(間違いない! 絶対そうだわ! ラルフ様は、少年少女にのみ興味を持つという、特殊趣味の方なのね?!)
知ってしまったからには、このまま何もしないわけにはいかない。彼に幼女・少女を近付けないように、できるだけ見張っておかなければ。イリスを紹介しろなんてとんでもない! あのおませな悪ガキも、一応私の愛する妹だ。死ぬ気で断ろう。
(……っ、そうだ! 来週のお茶会はどうするの?)
来週はジーク様の婚約者選びのお茶会があるのだと思い出し、私は絶望して思わず天を仰いだ。ああ、メデルの神様。全国の少年少女たちを、彼から救いたまえ。
「何を百面相しているんだ?」
「え?! そ、そそそんなことありませんよ! あっと、そうだ! ラルフ様、来週のお茶会のことなんですが」
「ああ、その話もしたかったんだ」
(くぅっ、この変態め! やっぱりお茶会を狙っていたんだわ。勝手に行動できないように、私が一日中見張らなきゃ!)
「ジーク様が先入観なくご令嬢たちを接することができるように、私たちは少し離れたところから見守りませんか?」
「離れたところで……? いや、できれば近くで見守ってあげた方がいいんじゃないか? ほら、もしかしたらマリネットの身内も候補者に入っているかもしれないじゃないか」
(婚約者候補のリストを見せていただけないとはいえ、伯爵家の令嬢を招かないわけはない。ラルフ様の言う通り、きっとうちのイリスも候補者リストに入っている。それを近くで見守るだなんて……イリスに手出しをする気満々じゃないの!)
ラルフ様がジーク様の婚約者候補に手を出したなんて知れたら、きっと大問題だ。ヴェルナー家の信用が地に落ちるのと同時に、彼を止められなかった私も確実に解雇が待っている。
将来の年金もなし、安定した職にも就けない。
優雅なおひとりさま生活は、夢のまた夢。
この男のロリコン趣味のせいで私の将来の計画は水の泡だ。ラルフ様がイリスに手を出して、死なばもろともルートなんて、絶対に避けなければいけない。
――お茶会当日は、ラルフ様がイリスに手を出さないように見張るわよ!