――翌朝。
ラルフ様が通るであろう使用人棟の階段の下で待つことにした。
あのラルフ・ヴェルナーはいつも不機嫌で失礼な人だと思っていた。会った瞬間からザカリー家をバカにした発言をするし、私が全面的に任されているはずのジーク国王陛下の教育にまで口出ししてくる嫌な男。
でも、それは少し違った。
それに、倒れた私を運んでコーラさんやお医者様を呼んでくれたのはラルフ様のはずだ。
(彼は、ジーク様に言われてド真面目に手を繋いだだけなのに、とんだとばっちりよね)
まずは謝罪と、お礼をきちんと伝えようと思ってしばらく待っていると、先に現れたのはラルフ様ではなく、友人のロイド・クライン様だった。
「おはようございます、マリネット嬢。朝からこんなところでどうされましたか?」
相変わらず爽やかで好感度高めのロイド様は、私を見つけるやいなや駆け寄って来る。ついつい木の陰に隠れようとしたけれど、見つかってから隠れても、もう手遅れ。
「……おはようございます」
「あ、もしかしてラルフを待っているのかな? アイツ、朝から探し物してて時間がかかっているようなんだ」
「そうですか。大した用事ではないので、もう少しだけ待って諦めますね。ありがとうございます」
ペコリとお辞儀をする私に、ロイド様はいつもの爽やかな笑顔で手を振る。
「あ、マリネット嬢。ちょうどラルフが来たよ。それじゃあ、またあとで」
ロイド様は私に一礼して、そのまま王城へ向かう。そして――
「……昨日は大丈夫だったか?」
「ラルフ様……」
……いけないっ! 私ったら、ついついラルフ様の手に目がいってしまうわ! 意識しちゃダメ!
「昨日は倒れたところを運んで頂いたとか……ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「いや、俺が無理矢理誘ったのだし、本当に済まなかった。今日も、別に律儀にジーク様の言う通りにしなくてもいいと思っている。ジーク様にはこれを機に、ワガママを言えば何でも通るわけではないことを学んで頂き……」
「……いいえ! 国王陛下のご命令は絶対ですので!」
思ったよりも大きな声が出て自分で驚いてしまった私は、両手で口を覆う。
私だって、まだ五歳のジーク様のおねだりはできるだけ叶えてあげたいと思っている。無条件に甘えられる相手が、ジーク様にはまだまだ必要だと思うから。
ただ、実際に男の人と手を繋ぐとなると、自分の体が付いて行かないだけなのだ。
でも、少しだけなら。
ジーク様のお部屋に入る直前に、少しラルフ様の手に触れるだけなら。
ちゃんと呼吸をするように意識していれば、昨日のように倒れずにやり過ごせると思うのだ。
サファイア色の目を少し泳がせ、一度小さくため息をついたラルフ様は、懐からゴソゴソと何かを取り出そうとした。それは、白い布……?
「あっ……、それは手袋、ですか?」
「これがあれば、君も倒れずに済むかと思って持ってきた。『手を繋ぐ』という言い方をするからよくないんだ。これをつけて、ジーク様の部屋にエスコートしよう」
ラルフ様はそのまま王城に向かって歩き始める。
(怒ってないのかしら? それに手袋を準備してくれるなんて、まるで私が男性に触れると気絶してしまうことに気付いているような言動じゃない?)
「何をしている、遅れるぞ」
「……はっ、はい!」
(まさかね。彼は、私がただの貧血で倒れたと思っているはずだわ)
私は両手の拳をぐっと握って気合を入れ、ラルフ様のあとを追った。
◇ ◇ ◇
ジーク様の部屋の扉の前で、ラルフ様が慣れた手つきで手袋をつける。彼のその動きをじっと凝視して待つ私に、ラルフ様はぷっと吹き出した。
「おい、顔が怖いぞ」
「……もし本当に今の私の顔が怖かったとしても、不機嫌顔が得意なラルフ様だけには指摘されたくありませんでした」
その瞬間、手袋をした右手の人差し指で、ピン、とおでこを弾かれ、私は一瞬何が起こったのか分からず目をパチパチとしばたたかせる。
(へっ?)
「入るぞ」
「はい……」
何だか行ける気がする。
人差し指で一瞬触られたけど大丈夫だったし、呼吸も安定。もしかして私、手袋をしていたら男性に触られても何も問題ないのでは?
弾かれた額を押さえながらゴクリ、と唾を飲んだ私の横で、ラルフ様がそっと左手の手の平を上に向けて手を差し出す。
(これは手じゃない。手袋だ。私は今から、手袋を触るんだ)
恐る恐るラルフ様の左手の手袋に、そっと右手を乗せた。
部屋の前にいた侍女たちがジーク様の部屋の扉を開く。私は大きく一度息を吸って、ラルフ様の手に触れたまま一歩踏み出した。
ラルフ様が通るであろう使用人棟の階段の下で待つことにした。
あのラルフ・ヴェルナーはいつも不機嫌で失礼な人だと思っていた。会った瞬間からザカリー家をバカにした発言をするし、私が全面的に任されているはずのジーク国王陛下の教育にまで口出ししてくる嫌な男。
でも、それは少し違った。
それに、倒れた私を運んでコーラさんやお医者様を呼んでくれたのはラルフ様のはずだ。
(彼は、ジーク様に言われてド真面目に手を繋いだだけなのに、とんだとばっちりよね)
まずは謝罪と、お礼をきちんと伝えようと思ってしばらく待っていると、先に現れたのはラルフ様ではなく、友人のロイド・クライン様だった。
「おはようございます、マリネット嬢。朝からこんなところでどうされましたか?」
相変わらず爽やかで好感度高めのロイド様は、私を見つけるやいなや駆け寄って来る。ついつい木の陰に隠れようとしたけれど、見つかってから隠れても、もう手遅れ。
「……おはようございます」
「あ、もしかしてラルフを待っているのかな? アイツ、朝から探し物してて時間がかかっているようなんだ」
「そうですか。大した用事ではないので、もう少しだけ待って諦めますね。ありがとうございます」
ペコリとお辞儀をする私に、ロイド様はいつもの爽やかな笑顔で手を振る。
「あ、マリネット嬢。ちょうどラルフが来たよ。それじゃあ、またあとで」
ロイド様は私に一礼して、そのまま王城へ向かう。そして――
「……昨日は大丈夫だったか?」
「ラルフ様……」
……いけないっ! 私ったら、ついついラルフ様の手に目がいってしまうわ! 意識しちゃダメ!
「昨日は倒れたところを運んで頂いたとか……ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「いや、俺が無理矢理誘ったのだし、本当に済まなかった。今日も、別に律儀にジーク様の言う通りにしなくてもいいと思っている。ジーク様にはこれを機に、ワガママを言えば何でも通るわけではないことを学んで頂き……」
「……いいえ! 国王陛下のご命令は絶対ですので!」
思ったよりも大きな声が出て自分で驚いてしまった私は、両手で口を覆う。
私だって、まだ五歳のジーク様のおねだりはできるだけ叶えてあげたいと思っている。無条件に甘えられる相手が、ジーク様にはまだまだ必要だと思うから。
ただ、実際に男の人と手を繋ぐとなると、自分の体が付いて行かないだけなのだ。
でも、少しだけなら。
ジーク様のお部屋に入る直前に、少しラルフ様の手に触れるだけなら。
ちゃんと呼吸をするように意識していれば、昨日のように倒れずにやり過ごせると思うのだ。
サファイア色の目を少し泳がせ、一度小さくため息をついたラルフ様は、懐からゴソゴソと何かを取り出そうとした。それは、白い布……?
「あっ……、それは手袋、ですか?」
「これがあれば、君も倒れずに済むかと思って持ってきた。『手を繋ぐ』という言い方をするからよくないんだ。これをつけて、ジーク様の部屋にエスコートしよう」
ラルフ様はそのまま王城に向かって歩き始める。
(怒ってないのかしら? それに手袋を準備してくれるなんて、まるで私が男性に触れると気絶してしまうことに気付いているような言動じゃない?)
「何をしている、遅れるぞ」
「……はっ、はい!」
(まさかね。彼は、私がただの貧血で倒れたと思っているはずだわ)
私は両手の拳をぐっと握って気合を入れ、ラルフ様のあとを追った。
◇ ◇ ◇
ジーク様の部屋の扉の前で、ラルフ様が慣れた手つきで手袋をつける。彼のその動きをじっと凝視して待つ私に、ラルフ様はぷっと吹き出した。
「おい、顔が怖いぞ」
「……もし本当に今の私の顔が怖かったとしても、不機嫌顔が得意なラルフ様だけには指摘されたくありませんでした」
その瞬間、手袋をした右手の人差し指で、ピン、とおでこを弾かれ、私は一瞬何が起こったのか分からず目をパチパチとしばたたかせる。
(へっ?)
「入るぞ」
「はい……」
何だか行ける気がする。
人差し指で一瞬触られたけど大丈夫だったし、呼吸も安定。もしかして私、手袋をしていたら男性に触られても何も問題ないのでは?
弾かれた額を押さえながらゴクリ、と唾を飲んだ私の横で、ラルフ様がそっと左手の手の平を上に向けて手を差し出す。
(これは手じゃない。手袋だ。私は今から、手袋を触るんだ)
恐る恐るラルフ様の左手の手袋に、そっと右手を乗せた。
部屋の前にいた侍女たちがジーク様の部屋の扉を開く。私は大きく一度息を吸って、ラルフ様の手に触れたまま一歩踏み出した。