――誕生日には花束だろ。

 銀太(ぎんた)は毎年おなじみの花屋で納得しかけている自分に気づいて、愕然とした。

「すみません! ちょっとだけ考えてきます!」

 まだ注文しているわけでもないのに店員に断って、銀太は花屋から逃走した。

「あ、危ねぇ……」

 ショッピングモールを半分ほど走ったところで立ち止まって、額の汗を拭う。

 季節は紅葉鮮やかな秋真っ盛り。毎年この日、銀太に一大イベントがある。

 妻、那月(なつき)の誕生日だ。

「三十路になって、初デートに誘うのと同じ手はなしだな」

 那月は町の小さな洋食屋でコックをしている。初めて那月と会ったのは、客としてだった。

 当時はドジな給仕だった。銀太に、ワインとまちがえてビールを出した。店長の父親にこっぴどく怒られていた。

 ワインの味わかんないんで、ビールで全然いいっす。当時二十一歳の銀太のうかつな一言は将来のお義父さんにはにらまれたが、後で聞くと那月はきゅんとしたそうだ。

 一方で銀太は、那月が気になって仕方なかった。

 ひっぱりたいようなほっぺをした女の子。きっとうまそうに飯食う。すっげー見てみたい。

 給仕が飯を食うところが見られるわけでもないのに、銀太はそれからメニューをヘビーローテーションしながら那月の洋食屋に通うことになる。

「もっといろいろあるだろ。たとえば……お!」

 携帯ショップの前を通りかかって、銀太はショールームに張り付く。

「そうそう! こういうのだよ!」

 初めて出会って二年後、ようやく那月とデートをすることができた。

 でも那月は向かいの席でうつむいたままで、俺嫌われてんのかなと、能天気な銀太でも言葉をかけかねていた。

 そうしたら銀太の携帯がピロリンと鳴った。

『緊張してます。もうちょっと待ってください。』

 ……お、おう。いつまでだって待ってやるよ。今度は銀太がきゅんとする番だった。

 初デートはお互い下を向いて、メールで会話しただけだった。

「ま、携帯はいっか」

 貧乏だった学生時代と違ってお互いお金もちょっとは貯めたから、携帯だってそれなりのものを持っている。

 それに今は好きなことを言い合える。そろそろと打ち込む文字を手探りしていた頃は終わりだ。

 今必要なものをプレゼントしなきゃな。気持ちを切り替えてショッピングモールを歩く。

 ふと銀太が足を止めたのは、新発売の「やさしいティッシュくん」一年分チケットだった。

「那月、超欲しがってたな……」

 やさしいティッシュくんは今、イケメン俳優が涙を拭いてくれるCMでおなじみの大ヒット商品だ。

 那月はものすごい泣き虫だ。一体どこでネタを拾ってくるんだというくらい、よく泣く。

 初めて銀太とキスをしたときも、那月は泣いていた。

 お父さんが入院したの。私のせいだ。私がいつまでも一人前のコックになれないから……。那月の震える声を覚えている。

「……ティッシュ要らねえ。俺がスポンジになってやる」

 初めての那月とのキスは、鼻水の味がした。俺たちらしいよなと、二人で思い出すたび笑う。

 俺と付き合ってください。馬鹿は風邪ひかないっていうから俺なら安心だぞ。義父が退院したとき目の前で言ったからか、義父は今もぴんぴんしている。

 那月と何度となく歩いたショッピングモールで、那月が足を止めた店を一つずつ見ていく。

 コスメ、服、宝石。でも那月の目の輝きも、銀太は一つずつ見てきた。

 照れくさそうにちらっと見て、違うよ、そんな乙女じゃないってばと言い訳したところだって、覚えている。

 乙女だよなぁと苦笑しながら、結局毎年銀太がやって来る店。

「すみません。これ今日ある分、全部ください」

 結局こうなるんだと自分で呆れながら、銀太は今年も同じ注文をした。










 家に帰ると、よくあることだが那月はさめざめと泣いていた。

「銀太ぁ! ごめん、ティッシュ入れたまま洗濯しちゃった……」
「おう……どんまい」

 イケメン俳優のCMを思い出して、やっぱり一年分も買わなくてよかったと思った。
  
 じゅうたんにあぐらをかいて、銀太はズボンにくっついたティッシュのくずをせっせと取る。これがないと明日出勤できない。

「よっしゃ、これで明日も戦える! あれ、那月?」

 那月と銀太二人分、合計十着の服をレスキューできてほっとしていると、今まで隣にいた那月がいないことに気づく。

 誕生日の日は銀太が夕食を作ることにしている。買い物もしてきてあると言ってなかっただろうか。

 隣の部屋をのぞくと、那月が寝室のテーブルの前で立ちすくんでいた。

「あー……まあその、なんだ」

 その視線の先に、ありったけ包んできた赤い薔薇の花束。

 銀太はぽりぽりと頭をかく。

「那月はドジだし、泣き虫だし、イケメン俳優にだまされてるのはむかつくけど」

 おい、こんなことが言いたいわけじゃないだろ。誕生日なんだから甘い愛の言葉くらい囁けや、俺。

 ……生まれてきてありがとうって気持ちを、どんな形にしたらいいかわからなくて。ただ毎年同じ店で同じ花束を包んでくるだけ。

「那月、誕生日おめ……」
「ふぇぇ!」

 言いかけた銀太に突撃するようにして、那月が抱きついてきた。

 銀太はみぞおちへの不意打ちに喉を詰まらせたが、耳元で聞こえた「大好き」の言葉に下唇をかむ。

 銀太大好き。その一言を聞くまでたぶん五年くらいかかった。今も一言聞くと、来年までがんばれると思う。

 ベタでもありふれてても、うちのお姫様が喜んでくれるなら、銀太はそれでいいのだが。

「ハッピーバースデー」

 誰が決めたんだろう。こんな気恥ずかしくて、幸せなプレゼントを。

 誕生日には花束を。