…人生で一番高い買い物をしたのは、一昨年の冬のボーナスが出た直後。

ずっと欲しかった自分専用のノートパソコンを、家電量販店で、値切って値切って税込み¥89,800ー。

ポイント還元目当てで、銀行でお金を下し、封筒に現金9万円を持って、支払ったっけ。

でも…今、その額を超えた、現金10万円の入った茶封筒を手に、私は人生最大の買い物をしようとしてる。


『時枝君』


目の前には、冴えない同僚の時枝拓真。

髪は中途半端に伸び切り、顔の半分はその前髪に隠れていて良く見えない上に、太い黒縁の眼鏡が目立って、表情は読み捕れない。

地階の階段の裏にある、ちょっとしたスペース。

昼時だというのに、陽の光もほとんど入らず、薄闇の空間。

こんな人気のないスペースで、女性に話しかけられるなど、彼にとっては前代未聞なのかもしれない。

細身な身体を相変わらずの猫背で丸く縮めて、可哀相なくらいに怯えている。

『あの…な、何でしょうか?』

消え入りそうな小さな声で、囁かれる。

『時枝君に、大事なお願いがあるんです』

もう一度、ハッキリと口にして、一歩また近づくと、彼も反射的に更に一歩下がり、その勢いで後ろにある壁に、思いのほか強くぶつかってしまう。

逃げ場を失くした子犬のように、壁に背をつけ怯える時枝君に、今世紀最大の勇気を振り絞り、持っていた茶封筒を真っすぐ差し出すと、ぺこりと頭を下げた。

『このお金で、私に時枝君の1週間分の時間をください!!』


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