『生田の壮行会について』
その件名で同期全員に確認のメールを送ったのは、生田がニューヨークへの一時出張から帰って来た日だった。日時と場所を最終確認のために知らせたもの。会場は結局いつも同期で使っていた居酒屋『運』にした。馴染みの店の方が、きっと生田も心地がいいだろう。日付は、3月30日――生田最後の出勤日だ。最後の日は、周囲も気を使って誘いを入れて来ないのだと桐島に言っていたらしい。

最後の日――。その言葉に、胸が射されるように痛む。一生会えなくなるわけじゃない。2、3年後には戻って来るんだかあら、また会える。でも、もうその時はただの同期でしかない。

「内野」

赴任を前に忙しそうに走り回っている生田は、最近ではあまり自分の席にいない。
そんな生田と、廊下で出くわした。同じ職場で同じ課にいるというのに、ここ最近はこうして廊下で出くわすこともなかった。一瞬強張ったように見えた表情は、すぐに元に戻っていた。

「いろいろ、ありがとな」

「え?」

「壮行会」

「あ……うん」

こうして向き合って話すのはいつ以来だろう。

「それにしても、おまえは、相変わらずのお人好しだな」

「な、何が?」

廊下の壁にもたれて腕を組み、ほんの少し微笑んでいた。

「どうせまた、桐島に幹事やれって言われたんだろ? それを断らないおまえも、ほんとバカみたいに律義だよな」

長い腕がその胸の当たりで組まれていて。さらりと流れる黒髪が、一見冷たく見える切れ長の目にかかる。何度も触れた唇が、今は、ただの同期みたいな会話を紡いでいた。

「バカみたいって。もう何年も私が幹事をやるのが暗黙の了解みたいになってるし。今更ね」

「そんな暗黙の了解、断っちまえないところがおまえだよな」

「そうやって生きて来たので」

こんな風に普通に話している自分が信じられない。でも、それも全部、こうして声を掛けて来てくれた生田のおかげなんだろう。あんなに酷いことをしたのに。すべてを壊したのに。

「……とにかく。ありがと」

もたれていた背を壁から離し、改まったように生田が私に向き合った。

「お礼なんて、いいよ。いつもやってることだし」

その目を真っ直ぐに見られなくて、慌てて視線を逸らす。

「それも、そうか……。じゃあ、な。引き止めて悪かった」

そう言ってふっと息を吐くと、生田は私が向かう方向とは反対に歩き出した。本当は、もっと、言わなくてはいけないことがある。話さなくてはいけないこと。

「生田――!」

「沙都」

振り返って呼び止めると、生田も立ち止まり私を呼んでいた。それに、名前――。久しぶりに呼ばれた私の名前が、悲しみを呼んで来る。

「あ、えっと……何?」

「おまえの方こそ、何かあるんじゃないの?」

少し距離をあけたまま向き合って、お互い口籠る。

――生田の物、服とか合鍵とか、返さないといけない。そう言わなければならないのに、どうしても言葉に出来ない。

「い、生田の方こそ。何?」

無理矢理に生田に振る。でも、生田もそれ以上何も言わなかった。

「――いや、いい。じゃあ」

今度は、もう、そのまま立ち去ってしまった。必ず渡さなければならないのに、一体どうするのか――。自分でも自分がよくわからないでいる。