***

 泣き喚いて錯乱する優愛を見て、リビングの前で呆然と立ち尽くす。クールダウンしておいでと言われてとりあえず外に出て帰ってきた。

 リビングの扉を開けた瞬間目に飛び込んできたのは、錯乱する優愛の姿で。俺が帰ってきたことにも気づかない優愛は、完全に自分を見失っていた。

 ああ、あの時のことを思い出したんだと、穏やかに“優愛”に話しかける伯父さんを見て思った。

 正気に戻った優愛が、微睡みながら言った言葉が胸に突き刺さる。

 伯父さんの腕の中で眠ってしまった優愛の顔にはありありと疲労が浮かんで。

「……おかえり。早かったね」

 優愛を抱き抱え直した伯父さんに、苦笑する。

「もう、1時間経ってるよ」

「そう。そんなに経つのか」

 伯父さんの優愛を見る目は優しいけれど、罪悪と哀しみに塗れていて。

 力なく投げ出されている手にある、傷が重なりすぎてもうケロイド状になっているところもある無数の切り傷を痛々しそうに眺め、そっと指先でなぞる。

「……優愛は、なんて?」

「愛情なんて信じられないって。理解できないって。あとは、何も」

 思わず目を伏せた。あの事があってから優愛は“愛情”に怯える。それと、“あいしてる”って言葉にも。

 だから、止めろって言ってるんだ。他人を好きになんかなれないくせに、男と付き合うの。

 男に寄り添い、応える優愛は見るからに“おかしい”。何が目的で男をとっかえひっかえしてるかわからないけど、他人に冷めてると言われてる優愛は、近くにいる俺らから見ると“壊れかけ”で。

 これ以上続けたら、確実に優愛は後戻りできないくらい、壊れてしまう。

「……優愛が男と付き合うの、そのままにしてあげた方がいいよ」

 涙に濡れた優愛の頬を拭った伯父さんが呟く。

「優愛の“逃げ”をなくさない方がいい」

「“逃げ”……?」

 母さんの片目と同じ、色素の薄い瞳と目が合った。目を逸らしてしまいたくなるほど真っ直ぐな目。

「優愛はあれがあってから人を愛せないでしょう」

 “愛さない”、じゃなく、“愛せない”。

 人からの“愛情”に怯えてしまった。それと同時に、自分の抱いた“愛情”が醜く変化して人を傷つけることを恐れた。

 他人から向けられる感情に、疑心暗鬼になって、冷たい目を、するようになった。

「それをわかってるのに、優愛が好きでもない男と付き合うのは、愛そうとしてるからでしょう? 変わろうと、してるからでしょう」

 ……でも、そのせいで優愛は壊れかけで。

「優愛、いつも付き合った男の言いなりで」

「それってさあ、優愛なりの応え方なんじゃないの?」

 不思議そうな声に、思わず首を傾げた。

「優愛と付き合ってるのって、優愛のこと好きって言った人たちで。自分のことを好いてくれてるのに、優愛自身に愛情はないから返すものがない。優愛の中で考えた結果が、相手の要望に応える、なんじゃないの?」

「……愛情が理解できないって、なのにそんな……」

 でも、それなら“とぶ”ので十分じゃん。

「……飛んでる状態っていうのは、孤独なんだよ」

 俺の言いたいことを悟って、少し淋しげに、伯父さんは言う。

「ひとりは……独りぼっちは、寂しいものだよ。……優愛は病気があるから特に、理解してもらえないでしょう。誰も自分を理解してくれないっていう孤独は、常に付き纏ってくる」

 懐かしむような、遠い目をした伯父さん。

 ……伯父さんは、3年前、奥さんを事故で亡くした。母さんたちの友達でもあった、美羽(みう)さん。

 優愛がその頃、あのことがあって酷い状況だったから、伯父さんは日本に滞在してて。

 その時に、事故で。俺たちも昔から構ってもらったり、良くしてもらってたから、美羽さんのことはよく知ってる。

 伯父さんたちの子供……いとこともよく遊んだし。今も遊んだりしてるけど。

 今、妹は伯父さんの家に居候してる。伯父さんの子供は上ひとりが日本でヤンチャしてて、下ふたりは向こうで普通に学校に通ってる。

 伯父さんは仕事で家を開けることが多いから、実質3人暮らしらしい。

「孤独なんて、知る必要もないし、知らなくていいことだけど。でも、傍にいるだけじゃ駄目だっていうこと、わかっておいた方がいいよ。傍にいても伝わってないでしょう、莱の気持ち」

 優愛がわからず屋なんじゃなくて、俺にも問題があるってことか。

「喧嘩しあうのはお互いの気持ちを知るために良いことだと思うけど、殴り合いに発展したり、それが原因でどっちかが家を出るなんてのは駄目だよ」

「……優愛は出てきそう」

「じゃあ追いかければいいでしょ。追いかけて説き伏せれば」

「優愛、俺の話聞いてくれない」

「……まあ、それはもしもの話だから。深く考えることはない、頭の片隅に置いといて」

 優愛を抱きかかえた伯父さんが立ち上がる。

「……あの事は、俺たちの責任だからね。優愛には余計な重荷を背負わせた」

 申し訳なさそうに顔を歪める。眩いブロンドに指を絡めると小さく息を吐く。

「ただでさえ、辛いだろうに」

 ……優愛は、“超記憶症候群”というかなり特殊な病気で。1度見たもの、聞いたもの、読んだものを“忘れられない”という、病気。

 本人曰く、物心ついた頃からの記憶を全て記憶しているらしい。そのとき何を見て何を思い、どんな会話をし、何を読んでいたか。

 その日、食べた物に何の具材が入っていたか、とかも1度言ってた。

 嬉しいことも、悲しいことも、何一つ忘れることができない。優愛はこの病気が原因で、よく自分の殻に閉じ籠もる。

 優愛が自己防衛のために身につけた悪い癖だ。殻に閉じ籠もってるときは楽なんだって。

 1度スイッチが入ってしまうと自分以外の人間が見えなくなってしまう。音も、声も、何もなくなるその時が優愛にとって1番楽な時間。

 ……だから、あの日のことは、優愛の中じゃ今起こったことのように鮮明に思い出せるもので。何もかも忘れられたら、と優愛は時々言う。

 忘れてしまいたい、と。ゲームをリセットするように、すべてを消し去ってしまいたい、と。

 優愛にとって辛い思い出となったあの時以来、優愛は変わった。誰も、ある一定の線の中に入れようとしない。

 “あなたのことは信じません”、と口で言われずとも目で訴えられる。

 自己防衛のために、自分自身を守るために、優愛は必要以上に他人を避けるようになった。彼氏を除いて、だけど。

「そうだ、杏莉が次いつ帰ってくるか聞いた?」

「……聞いた」

 明日、でしょ。

 また、優愛はしばらく家に寄り付かなくなるだろう。

***