ここまで来させたんだよ、そっちが。
 
 俺はそう思いながら、誰もいない会議室で彼女の手首を握った。

 彼女は大げさに驚いて、全身を硬直させる。

「ちょっと話そうか。最後だし」

「さい、ご……」

 彼女はされるがままに手首を許し、そう呟いた。

「今まで何度も言ってくれてたよね。いつかは栄転する。そしたら離れる、離れるのは嫌だって」

「それは……確かです……」

 髪の毛から出た俯いた頬も、耳も赤い。

「で、今が最後で離れるって分かったら……」

 彼女の手がピクリと動いた。

「何か言うことあるんじゃない?」

 『好き』と一言、言えばいい。

「……お、お世話になりました」

「うん、……で?」

「でって……」

「期待するでしょ」

 ここまで気持ちを持ち上げさせておいて、それはないだろうと、俺は右手に力を込めた。

 彼女の手首は胸元まで上がり、綺麗な細い指先が視界に入る。

「期待って……そんなこと、言われても……」

俺は彼女の顔が少し上がったのを見逃さなかった。

「言うでしょ」

 ただ、唇を近づける。

「嫌なら拒否してみ? 」

 あと5センチ手前で寸止めしながら、挑発してはみたが、

 拒否されるのが怖くて

「んっ」

 すぐに唇をつけた。

 彼女は逃げようと足を一歩引いたが、俺はそのまま追いかけ、背が壁になるまで追い詰め、唇を突き出す。

次いで、手首も肩まで持ち上げ、壁に押しつける。

 すんなり骨抜きになるのを期待したのに、彼女は手首を捻りはじめた。

 今迄あんなにもすり寄り、笑顔を見せ、呼び止め、頼り切っていたくせに、今更それはないだろうと、腹が立つ。

俺はすぐに唇を離すと思いきり羽交い絞めにした。

「ひゃ……」

「家族なんて、もうとっくにどうでもいいんだけど」

「は……ひぇ?」 

 間抜けな声で分かる。相当動揺しているようだ。

「ででも、家族、家族、家族……」

「何?」

 俺は優しく背中を撫でて聞いた。

「かぞく……」

「そ」

 俺は少ししゃがんで目を合せた。

「お前が手に入るんなら」

 目がとろんとしたのを確認してから、再び唇をつけた。やはり、すんなり舌が入る。

 ここまできて、引き下がれないんだよ。

 お前のためなら、離婚したって何したって、一緒に居たい。

 もう少しだって離れたくない。

 でもそれは、お前がそうさせたんだよ。

 お前が俺をその気にしたんだ。

 お前の手の中に、俺が入っただけなんだ。